【プロ野球】“高校本塁打0本”でもプロで大スラッガーになった選手たち (1/2ページ)

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“高校通算本塁打0本”でもプロで大スラッガーになった選手は?
“高校通算本塁打0本”でもプロで大スラッガーになった選手は?

 熱戦の火蓋が切って落とされた夏の高校野球。今年も早稲田実業の清宮幸太郎に注目が集まるなか、清宮は7月10日の初戦でいきなり本塁打。高校通算本塁打を51本に伸ばし、歴代1位の山本大貴(神港学園)の107本を超えるのではないかと囁かれている。

 しかし、この“高校通算本塁打”は野球ファンにとっては永遠の議題。「グラウンドが小さい」「試合数が違う」「○○は活躍しなかった」……などなど、否定要素が挙げられやすい数字でもあるのだ

 確かに本塁打の数が多ければ夢は増す。だが、プロ野球のなかには「高校時代はサク越えなし!」という選手が意外と存在する。

 たとえば、中島卓也(日本ハム)。カットの名手、小技の名手として存在感を示す中島は、実は小学生の頃から現在に至るまで、サク越えゼロ。生涯小技を貫きプロの一線で戦う稀有な選手だ。

 そしてさらに驚かされるのは“高校通算本塁打0本”でもプロで本塁打王を獲得した選手がいること。そんな晩成型の歴代スラッガーを紹介しよう。

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■小笠原道大(元中日ほか)

 実働19年で10回もの30本塁打超えを果たした小笠原。2006年には本塁打王に輝き、通算本塁打は378本にも及ぶ。

 しかし、じつは中学・高校時代はまったく無名の選手。暁星国際高で夏の千葉大会準優勝を果たしているが、入学にあたっては有望選手のバーターで獲ってもらったほど。捕手や内野をこなす、いわゆる非力な便利屋だった。高校卒業時にNTT関東に進む際には、提出する“実績”に色をつけてもらったと語っている。

 社会人5年目の1996年に日本ハムからドラフト3位で指名。そのときの評価も「捕手・内野手ができるユーティリティープレーヤー」だった。

 当然、打撃面でプロの壁にぶち当たった小笠原だったが、当時の打撃コーチを務めていた加藤英司氏が「とにかくフルスイングでいけ!」と指導。その教えを忠実に守り、フルスイングを貫いた結果、3年目には25本塁打を記録。大スラッガーへの階段を駆け上がっていった。

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