赤井英和インタビュー 浪速のロッキー挫折からの復活劇(1) (1/2ページ)

週刊実話

赤井英和インタビュー 浪速のロッキー挫折からの復活劇(1)

 −−ボクシングを始めたのは15歳の時ですよね。
 「高校のクラブで始めて、いつしか五輪を目指すまでいったんですが、当時、東西冷戦の煽りで日本がモスクワ五輪をボイコットしたことで道を断たれてしまったんです。まず、これが私の人生での1回目の挫折。その後、プロに転向したんですが、恩師の先生から紹介されたのが大阪のちっちゃなジムだったんです。日曜大工で作ったような四畳半ぐらいのリングで『そっちの壁もたれたらあかんで、隣に病気のおばちゃん寝てるから』なんて言われるくらいで(笑)。
 ジムの会長もジムだけでは生活していけなくて、タクシーの運転手もやっていました。そこから世界タイトル狙っていこうとしたら、周りからは選手もいない、後援会もない、そんなないない尽くしのジムで世界戦なんて無理じゃと、笑われたんです」

 −−まるで『あしたのジョー』のようですね。
 「いや、あれよりもっとボロいぐらい(笑)。でも会長も、私が五輪目指してたほどなんだから絶対いける、何とかマッチメイクするって言うて、2人で世界戦目指して頑張った。そこからKO勝利で連勝していったんです。それが話題になって、8戦目から毎回テレビでオンエアされて、15戦目が世界タイトルでした。リングサイドには母校の近畿大学の先生や同級生など大勢来てくれて、その時は99.9%と思うくらい、自分の応援でいっぱいでした。結局、7ラウンドKO負けしてしまったけど、逆に負けて自信をつけたんです」

 −−というのは?
 「6ラウンドまで攻めてたし、世界チャンピオンと自分は差がないなと。世界はこういうもんやと、手応えを感じたからです」

 そこで赤井は、1冊の古いスクラップブックを見せてくれた。母親が、新聞記事をすべてスクラップしてくれていたという。それには赤井の記事が、大きいものから小さいものまで、きれいに時系列でスクラップしてあった。それを見ればたどって来たボクシングでの活躍が一目瞭然で、何冊もあるのだという。赤井にとっての宝物の一つだ。
 「小さかったジムもだんだん大きくなって、ビルにまでなっていったんです。ところが、私の知らない所で大きなお金が動いていた。だけど、自分へのファイトマネーは変わらずチケットのみ。

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