【プロ野球】阪神・西岡剛は戻れるか?アキレス腱断裂・負傷から復活した男たち (1/2ページ)

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アキレス腱断裂・負傷から復活した男たち
アキレス腱断裂・負傷から復活した男たち

 走塁中、突然グラウンドにうずくまる西岡剛。その姿はまるで泣いているようだった──。20日の阪神対巨人戦で届いた悲報、「西岡剛、左アキレス腱断裂」。ここのところ好調を維持していた西岡だけに、本人はもちろんチームにとっても痛すぎる負傷だ。

 今季のプロ野球ではロッテの大松尚逸も5月に右アキレス腱を断裂。全治6カ月と診断された。野球以外でも、大相撲では豊ノ島、安美錦が続けてアキレス腱断裂と、ここ数カ月の間だけでも同じようなニュースが続いている。

 アスリートを苦しめる悲劇、アキレス腱断裂。一方で、この負傷から見事なカムバックを果たした事例も多い。過去の球界アキレス腱断裂史、その主だった例を振り返りたい。

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■門田博光(南海)

 1979年2月、まだ肌寒いキャンプ中の高知・大方球場の芝生の上で準備運動中、突然アキレス腱が切れてしまったのは南海が誇る主砲、当時31歳だった門田博満だ。

 担架もなければ、医師もいない状況。救急車が到達するまで25分間、ひとりでうずくまるしかなかった。すぐに手術をし、復帰は同年9月。19試合で2本塁打を放ったが、ケガの影響で守れない門田を球団はトレード要員として考えるようになった。

「一度は死んだ身。いつまたアキレス腱がダメになるかわからない。毎打席“これが最後”という気持ちで打席に入ろう」

 そう決意し、翌1980年からは背番号27から、「死」を連想すると日本人に嫌われがちな「44」に変更。するとこのシーズン、指名打者のみで111試合に出場し、自身初の40本塁打超え(41本)でカムバック賞を受賞。1981年には44本塁打で初のホームラン王。通算567本塁打のうち、復帰後に388本塁打を重ねた。

■前田智徳(広島)

 1995年5月23日、西岡同様、一塁を駆け抜けようとしたそのとき、右アキレス腱を断裂してしまったのが広島の誇る「天才」前田智徳だ。

 1996年は開幕から復帰し、2年ぶりに規定打席にも到達。同年から1999年まで、4年連続で打率3割以上をマーク。復活を印象づけたが、自身の思うようなバッティングには程遠く、この頃に口から出たのが「前田智徳という打者はもう死にました」「プレーしているのは僕じゃなく、僕の弟です」といった有名な前田語録だ。

 また、右足をかばっていたために左アキレス腱も痛めてしまい、2000年のシーズン途中に左アキレス腱鞘滑膜切除手術。翌年に復帰し、2002年には打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞。以降、5年連続で20本塁打以上をマークし、打率もほぼ毎年3割以上。2007年に2000本安打。2008年に2000試合出場を果たした。

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