NO1ヒットメーカー売野雅勇が明かす“80年代アイドル”の戦乱(2)中森明菜の「少女A」ウラ話 (1/2ページ)

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NO1ヒットメーカー売野雅勇が明かす“80年代アイドル”の戦乱(2)中森明菜の「少女A」ウラ話

「イヤだ、私、この歌は絶対に歌いたくない!」

 中森明菜(51)が自身初のヒット曲となった「少女A」(82年)のレコーディングを拒否したことは、一部で知られた話である。売野氏が作詞家として注目された記念碑的な1作だが、誕生までは難航を極めた。

「この『少女A』ってタイトル、明菜のイニシャルのAって言いたいの!」

 明菜は声を荒らげたという。当時、明菜が所属した「研音」の花見赫社長いわく、デビュー前は「バイクの後ろに乗って旗を振り回すようなヤンチャな子」であった。それゆえに、不良性感度の高いタイトルを自分のことと勘ぐったという。

 売野氏は、実はさらに過激なタイトルを用意していたという。

「僕の元タイトルは『少女A(16)』だったんです。16はもちろん、当時の明菜の年齢。さすがに新聞記事みたいだからと、現場のマネージャーが年齢は外しましたが」

 実は明菜の2作目は、デビュー曲「スローモーション」と同じ来生えつこ・来生たかお姉弟の手によるバラード調の「あなたのポートレート」に内定していた。明菜自身もせつない曲を好んでいたが、パンチのある「少女A」に逆転──。

「新人歌手でありながら自分のビジョンを明確に描いていた明菜は、どうしても歌いたくないと言い張った。そこでディレクターは『1回だけ歌ってくれれば、たとえ失敗しても録り直しはしない』と約束。そして明菜は、たった一発で文句のつけようのない歌いっぷりを見せました」

 売野氏はコンペ形式で参加した「少女A」の歌詞を作るにあたり、阿木燿子が山口百恵に書いていた一連の路線を研究。サビで「いかに女の子にタンカを切らせるかが勝負」だと気づき、それが「じれったい、じれったい」のフレーズにつながる。

 ただし、売野氏は明菜にとっては“目の敵”の存在であり、レコーディングの見学を許されたのも、わずかに一度だけ。その時も、視線すら合わせてもらえなかったという。

 明菜にとって“少女の反抗路線”が当たったこともあり、4枚目のシングル「1/2の神話」(83年)は、再び売野氏が指名される。

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