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SMAPをスーパースターとして育て上げたテレビ局の功績

 国民的アイドルグループ・SMAPの解散発表は、各方面に激震が走った。彼らがここまでの地位に登り詰めたのはファンの支えによる部分も大きいが、テレビマンの間では、“テレビこそがSMAPを育て上げた”という自負があるという。

 SMAPは1991年に「Can't Stop!! -LOVING -」でCDデビューしたが、当時のジャニーズとしては珍しくCDランキングでは1位を獲得することはできず、2位という結果に終わった。その後もCDランキングで1位を獲得することはできず、SMAPは危機的状況に陥っていた。
 
 そんな中、1992年4月にフジテレビ「夢がMORI MORI」にレギュラー出演。この頃、ジャニーズのアイドルがバラエティ番組に出演することは、非常に珍しいことだった。

 「SMAPを起用した制作陣は、度胸がありますね。深夜枠とはいえ、結果は求められる。国民的アイドルグループの土台を築き上げた、原点はここにあると思います。」(テレビ局関係者)

 ただ、1992年8月、愛知県・名古屋レインボーホールで行われたライブでは、客席が7割程空席という異常事態。まだまだ、世間ではSMAPの認知度は低かった。

 その後、状況は徐々に変化する。フジテレビの月9ドラマ「あすなろ白書」に木村拓哉が出演。主演ではないものの、キーマンとなる役柄を演じ、大きな注目を浴びた。木村が注目を浴びると、自然とSMAPというグループにも目を向けられ、SMAPは世間から認知されるようになった。

 そして、1994年発売の12枚目シングル「Hey Hey おおきに毎度あり」でようやく1位を獲得。その後、SMAPはCDランキングにおいて、怒濤の快進撃を続ける。

 すでにこの頃、木村は俳優として評価を高めていたが、他のメンバーはまだまだ、個性を発揮する事ができなかった。そんな中、中居と香取が、1994年4月からフジテレビ「笑っていいとも!」の曜日レギュラーとして出演。1995年には草なぎ剛も同番組のレギュラーに抜擢され、当時お昼の番組の中で圧倒的な人気を博していた番組に出演することで、メンバーは世間からの認知度を一気に高めた。

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