中日・森繁和新監督が側近スポーツ記者に打ち明けた複雑な胸中

週刊実話

 「明日、名古屋に帰らないと行けないから」
 東京中日スポーツが9月29日付の紙面で中日・森繁和監督代行(61)の新監督就任の記事を掲載した前日の28日、私は彼に電話を入れた。
 森監督代行が巨人戦(東京ドーム)で上京しているので食事に誘ったのだ。いつもなら余裕をもって約束の連絡を入れるのだが、今回は中日の最終戦ということもあり、1日くらいは空いているかな?と思うと同時に、小笠原道大二軍監督の監督就任発表が遅れていたので、できればその理由も聞きたかった。
 だが、「明日、名古屋に帰らないと…」の森氏の断りは、来季監督がすでに決まっていたわけだ。

 翌日、私は「おめでとう。大変だけど頑張って」と激励した。しかし、監督に昇格した森氏の声は重かった。
 「うん〜。ありがとう。分かった」
 この重苦しさは、新監督就任の喜びとは程遠いものだった。

 3年前、谷繁元信兼任監督が誕生した際、森氏は落合博満GMからヘッドコーチ就任を要請された。森氏は「落合なら連帯責任でも納得するが」と一度、要請を断っている。
 「悪いようにはしない」
 落合GMとの暗黙の了解でベッドコーチを引き受けた経緯がある。
 もし落合GMの体調面がベストであれば、監督復帰があったかもしれないが、そうはならなかった。

 落合GMと江川卓氏が親しいことは森氏から聞いていたので、江川氏が監督候補に挙がっていたことも事実だろう。また、小笠原二軍監督とは、巨人から移籍する時点で落合GMと「将来の監督候補」としての含みは持たせており、ある程度の青写真は出来上がっていた。
 しかし、結果は森氏の監督就任−−。私は森氏と会食をする度に「監督をするべき。いや、してほしい」と言い続けてきた。

 前述した激励の電話でも「私の希望が叶った」と付け加えた。
 「うーん」
 森中日が前途多難に思えてならない。

(スポーツジャーナリスト・吉見健明)

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