【日本人が知らないニッポン】「天下布武」は岐阜城から始まった (1/2ページ)

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【日本人が知らないニッポン】「天下布武」は岐阜城から始まった

日本史上稀に見る武将の1人、織田信長。

もともと日本人は、強権的な政治家を嫌う傾向にあります。

それは結局「和を以て貴しとなす」という発想が定着しているからで、多少なりとも強引なことをやった者は暗殺される可能性が極めて高いのが日本という国。

ですが、戦乱の世では話し合い至上主義は通用しません。

戦国時代は、室町諸大名の権力が肥大化したのが始まり。それを収束させるには、武力を用いるしかありませんでした。

それを初めて実行しようとしたのが、織田信長でした。

・貨幣経済と信長
岐阜城は、信長が天下布武の可能性を確信した場所です。

金華山の上に立つこの堅固な城からは、城下町を悠々と見下ろすことができます。まるで自分自身が天下を取ったかのような感覚になります。

信長の快進撃は、ここから始まりました。まず彼が行ったことは、当時最新の貨幣経済の導入です。16世紀とは、世界的に見れば大航海時代の真っ只中。ユーラシア世界に大量の銀が流入し、「モノをカネで買う」という行為がより高度化しました。

信長以前の大名は、領土内にある鉱山から多くの収益を得ていました。ですが信長の場合、鉱山採掘よりも外国との交易のほうがより多くの金銀を集められるということに、人生の早い段階で気づきました。

これは紛れもなく、天才の発想です。

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