アサヒ芸能「スクープ大事件史」Vol.7(7)梅川昭美が君臨した3日間の地獄絵図 (2/2ページ)
この事件の結末に関しては、3月29日号が詳しく報じている。
〈午前8時41分──。
ちらりと梅川昭美は新聞から目をあげ、バリケード代りのキャビネットに黒い頭がのぞいているのをみて愕然とした。
彼があわてて右手の拳銃でこの黒い頭を狙い撃とうとした瞬間、拳銃の閃光がひらめき、梅川昭美は首を撃たれた。
狙撃班は合計8弾を撃った。命中したのは3弾。1弾は頭、1弾は首、1弾は同じく首から肩に命中していた。
狙撃班が必中のライフル銃を使わなかったのは、ライフルは威力がありすぎるので、はね弾で人質に傷をあたえるおそれがあったからである。(中略)
だが、この男はヒューッという呼吸をしていた。
「まだ生きている!」
担架で梅川昭美は救急車に運び込まれ、大阪警察病院で手当をうけたが、この日の午後5時43分、ついに死亡した〉
2月19日号の8ページにわたる総力特集は、事件の一部始終を見取図入りで伝えているが、なかにはこんなくだりもある。
〈全裸の女子行員たちに、彼は無表情にこう命令した。
「よーし、みんな股を開け」
「閉じろ」
「開け、もっと開くんや」(中略)
梅川の命令は、さらにエスカレートしていった。
「机の上に正座するんや」
「こんどは四つん這いになれ」〉
サディズムのかぎりを尽くした地獄絵図が繰り広げられたのであった。
同号の記事でもうひとつ驚かされるのは、事件解決翌日の29日から店舗2階で業務を再開していることだ。行員たちの心的キズ(トラウマ)などお構いなしに営業に邁進した“ナニワ商人”のエゲツさには当時の捜査員たちも呆れていた。
ついでに記しておけば──当時、「梅川の愛人はなんと、あの鳴海清の元愛人だった」という説が流れたが、その真偽は確かではなかった。おそらくいまも、この情報はナゾに閉ざされたままであろう。