【プロ野球】菊池雄星はメジャーで通用するのか!? 日本人左腕メジャーリーガーの成績を総ざらい! (2/3ページ)

デイリーニュースオンライン

■「メジャー適性」の重要さを証明する活躍

■柏田貴史(巨人→メッツ)
メジャーでの実働企画:1年(1997年)
35試合:3勝1敗/防御率4.31

 八代工から、1989年にドラフト外で巨人に入団した柏田貴史。2軍で最多勝の結果を残すものの、1軍での出場機会に恵まれず、不遇の日々を過ごしていた。

 そんななか、1997年にメッツへ野球留学した際に、なんと5月にメジャーデビュー。その1年だけでNPB時代の1勝を超える3勝を挙げる。

 同年のオフに、メッツを含むメジャー3球団と巨人以外のプロ野球11球団からオファーを受けるも、プロ野球選手へ道を拓いてくれた巨人に復帰。

 「さすがメジャー帰り!」といった大きな印象に残る結果を出したわけではないが、メジャー時代に引き続き、中継ぎ投手として普通に活躍した。巨人復帰後の7年で3勝(NPB通算4勝)は、メッツで稼いだ勝利数と同じ。勝ち運にも恵まれ、よほどメジャーの水が合っていたようだ。

■サウスポーとして一番成功したのは菊池雄星の師匠

■石井一久(ヤクルト→ドジャース→メッツ)
メジャーでの実働期間:4年(2002~2005年)
105試合:39勝34敗/防御率4.44

 菊池の師匠である石井一久は、2002年1月にポスティングシステムで入札したドジャースと契約し、晴れてメジャーリーガーとなった。春季キャンプではピリッしなかったものの、メジャーデビューとなったロッキーズ戦で6回2安打の快投を披露し、初登板で初勝利をゲット。

 その後も前半戦で11勝を挙げたり、自己最速となる156キロのストレートを投げたりと順風満帆なシーズンを送っていた。しかし、シーズン終盤のアストロズ戦で頭部に打球が当たり、頭蓋骨を亀裂骨折。プロ野球人生はおろか、人生が終わるかもしれない大ケガとなった。

 ドン底とも思える状況から復帰した石井は、2003年以降もケガと戦いながら9勝(7敗)、13勝(8敗)と活躍。2005年は開幕前にトレードでメッツに移籍するも、故障に悩まされ3勝(9敗)止まりだったこともあり、この年を最後にメジャーに別れを告げ、ヤクルトに復帰した。

■日米を股にかけた変則左腕

■岡島秀樹(日本ハム→レッドソックス→ソフトバンク→アスレチックス)
メジャーでの実働期間:6年(2007~2011年、2013年)
266試合:17勝8敗/6セーブ/84ホールド/防御率3.09

 独特な投球フォームでNPBのファンを沸かせた岡島秀樹は、2006年のオフにレッドソックスと契約。2007年のロイヤルズとの開幕戦では初球をスタンドに放り込まれ、ほろ苦いメジャーデビューとなった。

 ただ、終わってみれば66試合に投げて、3勝2敗、5セーブ、27ホールドで防御率2.22と活躍。中継ぎエースとしてワールドシリーズ制覇にも貢献した。

 2年目以降は、2.61、3.39、4.50と徐々に防御率が悪化していくが、それでも4年連続で50試合以上に登板するなど存在感をアピール。5年目は7試合の登板に留まったが、マイナーで34試合に登板するなど底力を見せたことで、一時はヤンキースからの誘いもあった。

 フィジカルチェックで異常が見つかったためヤンキース入りは実現しなかったが、2012年はソフトバンクと契約しNPBに復帰。2013年は再びアメリカに飛んで、2014年に日本に帰ってきたというように(アスレチックス→ソフトバンク)、夢を追いながらも請われたところで投げるという、これまでの日本の選手にはなかった新しいキャリアを見せてくれた。

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