【新東方見聞録】シルクロード交易はここから始まった(中国・西安と洛陽) (1/2ページ)
中国の歴代王朝の中で最も奥深く、文化が発展した時代。それは唐代ではないでしょうか。
唐朝は世界帝国でした。いわゆるシルクロードは、唐の時代に確立されたと言ってもいいほどです。それまでユーラシア世界は、東西を隔てる巨大な「壁」がありました。物体としての壁が存在したわけではありません。中国から中央アジア、中東、そしてヨーロッパやマグレブまで行くのにいくつもの国家を跨がなくてはなりませんでした。
それが一元化されたのは、8世紀中葉でした。
・「経済特区」として
唐朝の成立は西暦618年。首都機能は前王朝の隋に続き、長安に置かれました。
長安とは、今の西安です。この記事では現代の読者向けに、敢えて「西安」という名称で統一します。
この西安と、東に位置する洛陽は唐代に栄えました。シルクロードの歴史を学ぼうとする現代人は、必ずこの2都市を訪問しなければなりません。
西安から洛陽までの地域は、今で言う「経済特区」だったのかもしれません。たとえば今現在のシンガポールは、国全体が経済特区のようなもの。それはなぜかと言えば、東西を結ぶシーレーンの門のような部分に国土があるからです。
それを考慮すれば、かつての西安と洛陽の繁栄ぶりが何となく分かるのではないでしょうか。
・紙が伝わった瞬間
西暦751年、人類史を永遠に変えてしまう出来事が発生しました。
それはタラス河畔の戦いです。相手はイスラム帝国として名高いアッバース朝。この戦いで、唐は負けてしまいます。
その際、唐軍の製紙職人が施設ごとアッバース朝に接収されます。