追悼・松方弘樹「修羅の74年」烈しすぎる秘話!(1)150人分を1人で払った (2/2ページ)

アサ芸プラス

「敵味方の役だけど、終わったら『飲み行こうか』で、いつものお兄ちゃんの形。5年ぶりの主演作というので、気持ちはものすごく入っていたね」

 松方の主演作をもっとも多く撮ったのは、中島貞夫監督だ。一連のヤクザ映画はもちろん、時代劇や松方のプロデュース作品でもたびたび組んだ。

「弘樹ちゃんは時代劇全盛期の大スター・萬屋錦之介に憧れていた。スタッフや役者を引き連れて飲み歩くのも“錦兄ィ”の豪快さを自分の中に取り入れようとしていたね」

 中島は、松方のよさを「何においてもコソコソやらない」と指摘。その1つに、松方が父親から引き継いだ「雄琴の高級ソープ(当時はトルコ風呂)経営」があった。

「釣り堀もやっていたし、ソープも堂々とやっていた。ある意味じゃ世間知らずな面もあったけど、後ろを振り返らなかったね」

 中島と同様、脚本家の高田宏治も松方の傑作をいくつも手がけた。松方のサービス精神は、いつも肌で感じていたという。

「若い役者をソープに連れて行くのもそうやったし、飲み屋で打ち上げをやったら100人とか150人分を弘樹が1人で払ってたな。僕もゴルフやら嵐山の料亭やら、よう接待されたよ。弘樹は金を使って使って使い倒す。だから働かんといかん役者の典型やった」

「追悼・松方弘樹「修羅の74年」烈しすぎる秘話!(1)150人分を1人で払った」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2017年 2/9号修羅の群れ松方弘樹仁義なき戦い追悼エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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