人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第56回 (1/2ページ)

週刊実話

 「日本列島改造計画」へ踏み込んだことにより、工場誘致地区に指定された候補地周辺の地価の値上がりを当て込んだ商社をはじめとする大企業が次々と“買い占め”に出、地価はアッという間に暴騰した。
 例えば、昭和48年4月、建設省が公表した全国5490地点の地価は平均約30%、首都圏に限れば35%も暴騰したことを明らかにした。また、高騰したのは土地だけではなく、一般物価も凄まじいばかりの勢いで高騰、毎月1.5%〜2.0%ずつ上昇し続けた。わずか半年ばかり前には「今太閤」「庶民宰相」と喝采を浴びた田中角栄だったが、ここに至ってもはや昔日の面影はなく、人心は離れる一方となったのである。田中の着想の素晴らしさは誰もが認めたが、「負」の側面が現れるや国民の多くが手のヒラを返したということだった。

 当時の田中首相番記者のこんな証言が残っている。
 「地価の暴騰、インフレの高進、さらには前年暮れのよもやの総選挙での敗北も手伝って、田中の普段の表情は大きく変わった。これらはすべて“想定外”ということで、悩みは相当に深かったと思われた。持ち前の明るさは消え、『分かったの角さん』から『だんまりの角さん』と呼ばれるようになっていた。さらに追い打ちをかけたのは“オイルショック(石油危機)”だった。折から顔面神経痛を患ったため顔が歪み、歯切れがよく分かりやすかった国会答弁も次第に不明瞭になっていったものです」

 立ち往生する日本列島改造計画に、あたかもトドメを刺すかのようにオイルショックが日本列島を襲ったのはその年(昭和48年)の秋であった。
 OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が、この年10月に勃発した第4次中東戦争を有利に導こうと、イスラエル友好国に対する原油価格の値上げと原油自体の供給削減を決定、ために原油価格は一挙に4倍にまで急騰、折からのインフレの高進と相まって、日本は未曾有の経済危機に直面したということだった。
 「角福総裁選」で敗れ、行政管理庁長官として入閣していた福田赳夫は、これを評して「まさに狂乱物価」と批判した。地価や物価の高騰はとどまることなく、国民も一種のパニック状態に陥ったものだった。

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