「芸能界の都市伝説」これが真相だ!<ドリフ加入をいかりや長介に口説かれた桑田佳祐> (1/3ページ)
熱狂的なファンを多く持つミュージシャンたちは、その言動においても、なかなか突飛なところがある。ステージとは違う一面を切り取ってみよう。
「職業欄はロックンローラーで、ヨロシク」
これは内田裕也が海外を旅する時、出国手続きに必ずそう書くから。タレントでもなければ歌手でもなく、生涯、「ロックンロール」にこだわる。
そんな内田が古巣の六本木を歩く時、拳を握りしめていつもつぶやいている。
「六本木はいつ、どこから敵が来るかわからないから、こうして臨戦態勢だ」
記者が同行した時の実話である。
さて、亡くなった忌野清志郎が「RCサクセション」でブレイクし、日本武道館の公演を超満員で終え、スタッフが「打ち上げはどうしますか?」と聞いた時のこと。
「銭湯の時間があるので帰ります」
意外な現実がそこにあった。この話をテレビで語ったのは大槻ケンヂだが、自身もこんな経験がある。
「カラミはないけど、デビュー後にAVに出たことありましたよ。バンドの月給が3万5000円の頃に、2日間の撮影で4万円くれるって言うから」
カネに転んだ!?
間もなくデビューから40年になろうとするサザンオールスターズの桑田佳祐だが、その歴史がなくなっていた可能性もあった。
「いかりや長介さんから『ドリフに入らないか』と真剣に誘われたんです」
93年のサザンのライブで桑田が明かしている。それはデビュー直後のことだった。
「加藤茶さんが辞めるかもしれないという話があって、お前らもコミックバンドみたいなものだから、代わりにどうだと言われたんです。丁重にお断りさせていただきましたが」
そんな桑田も憧れたフォーク界のプリンスが吉田拓郎だった。