実は小野小町は十二単を着てなかった!?百人一首の女性達の服装の真実 (1/2ページ)
十二単を着た小野小町の絵には間違いが!?
「世界三大美女」として知られ、「小倉百人一首」や「古今和歌集」にもその歌が取り上げられている「小野小町」。その本名や、正確な人物像などは未だにはっきりとは分かっていません。
百人一首の絵札や解説本の多くで、彼女はこのような平安時代の女性貴族の代表的な衣装である「十二単」を着た姿に描かれています。
狩野探幽「三十六歌仙額」
実に華やかですが、この絵には大きな間違いがあります。
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十二単が着用されるようになったのはいつから?十二単が貴族の女性達に着用されるようになったのは、平安時代の10世紀頃と言われています。奈良時代〜平安時代の初期までの日本では、文化だけでなく服装も、中国大陸からの影響を色濃く受けたものが使用されていました。
しかし894年に、現在では「天神様」として知られる菅原道真の建議により遣唐使が廃止されると、日本はそれまでの唐風の文化から、日本独自の「国風文化」を発展させていきます。もちろん服装についても、例外ではありませんでした。
そして10世紀頃に、現在「十二単」と呼ばれている「五衣唐衣裳」が、貴族女性の装束として定着しました。