「慰安婦問題ねつ造」背景には破廉恥な妄言

まいじつ

Photo Credit : Maina Kiai Photography Flickr via Compfight cc
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韓国の従軍慰安婦問題といえば、朝日新聞報道である。この報道の元は吉田清治による著作物で、韓国だけではく、国連でも“真実”との評価が固定されている。“職業的詐話師”の戯言ととても片付けられない次元まで、事は膨大に膨れ上がっているのだ。

「故・吉田清治はノンフィクション『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(1977年)と次作『私の戦争犯罪』(1982年)を上梓し、戦時中に韓国・済州島などで、朝鮮人女性を慰安婦にするため、軍命令により慰安婦狩り(強制連行)を行ったとの告白証言を行いました。しかし、のちに日本と韓国の追跡調査から、全てが作り話であることが判明し、本人も1995年にこれを認めています」(慰安婦問題ウオッチャー)

翌1996年の『週刊新潮』(5月2・9日号)インタビューで、吉田は次のように語っている。

「真実を書いても何の利益もない。事実を隠して自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか」

出自と経歴に疑惑の多い「吉田清治」という人物

吉田清治は軍人・軍属でもなく、全てが嘘に包まれているのだが、最も基本的な問題は、どこの誰だかまったく不詳なのだ。

「生まれは大正2年。2000年7月に没した(直腸ガンが肝臓にも転移し死亡と、茨城県に住む長男が2014年3月13日号の週刊新潮の取材で答える)とされますが、確認されていません。そもそも『吉田清治』はペンネームで、本名は『吉田雄兎』でした。個人体験を基にしたノンフィクション、しかも無名の新人が、処女作からペンネームを使うのは珍しく、まずここから疑うべきでした」(同・ウオッチャー)

吉田雄兎という本名さえ怪しい。昭和初期、福岡県の門司市立商業高校(現:同県立門司大翔館高校)に入学しており、同校の昭和6年度卒業生名簿に吉田雄兎は記されているのだが、横には“死亡”とあるのだ。

姓名についてTBSは、1992年ごろには『吉田精治』と報じていたし、ほかにも『東司』『栄司』といったペンネームを使い、本名は不詳だった。歴史家が作品中の“史実”に違和感を覚えても実名が判明しない以上、追跡調査は困難となる。あるいはそれが狙いだったかもしれない。さらには、北朝鮮工作員による“背乗り”(身分・戸籍を乗っ取る行為)の疑惑まである。

戦後の闇は深い。

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