ビートたけしの金言集「“浅草ロック座”斉藤ママとの良き思い出」 (1/2ページ)

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ビートたけしの金言集「“浅草ロック座”斉藤ママとの良き思い出」

「豪快な人で、女でよかった。男だったら全国制覇しているか、殺されるかだった。かわいくて、優しくて、軍団にも小遣いをくれた。前は土曜、日曜に必ず会いに来てたけど、レギュラーの仕事が入っちゃってね。浅草に来んのもつまんなくなっちゃったね」

 5月初旬。「浅草ロック座」斉藤智恵子名誉会長がお亡くなりになり(享年90)、駆け付けたお通夜の席で、報道陣に囲まれた殿は、先の言葉を漏らしたのです。

 生前、殿が「斉藤ママ」と呼び慕っていた、浅草興行界のゴッドマザーと殿の縁は古く、わたくしたち軍団若手も、ただ“たけしさんの所の弟子”というだけで大変お世話になり、亡くなる直前まで、本当にかわいがっていただきました。

 36歳で踊り子に転身し、その後、劇場の営業権を獲得。努力と商才で、全国に約20カ所の「ロック座」チェーンを展開させた斉藤ママについて殿は、

「何てったって、あの時代に女が一人で興行の世界で上がっていくんだから、並大抵の根性じゃないだろ」

 と、その“豪快人生”に、いたく共鳴し、10年程前には、斉藤ママの半生を映画化しようと、台本にまとめたこともありました。

 で、殿の発言にもあるとおり、一時期は毎週末、殿と軍団の若手十数名で、斉藤ママと食事会をしていたのですが、殿がどうしてもうかがえない日があっても、「監督(斉藤ママは生前、殿のことをこう呼んでいました)が来れなくたっていいの。あんたたち軍団と会うのも楽しみなんだから。監督抜きでもとにかく来なさい!」と、わたくしも含め、“無名の芸人の集団”を常にかわいがり、目をかけてくれたのです。ひと頃やたらと、殿抜きで斉藤ママと若手が食事をする夜が続いたことがあり、そんな時、

「何でお前らが俺抜きでママと遊んじゃうんだよ。俺がママを紹介したんじゃねーか!」

 と、殿からツッコまれたこともありました。一方、殿が出席すると、

ママ 私があと10年若かったら、監督の女になってたのにね~。

殿 ママ、10年若いっていったって、70でしょう。俺が困るよ。

 そんなやりとりが定番でした。

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