【日本人初】インディ500を制した男、佐藤琢磨ってどんなドライバー? (2/4ページ)

イキなクルマで

本格的な自転車競技人生を歩むことになります。その一方で、高校では担任を顧問として自転車部を創部。1994年にはインターハイを制するなど、実力を大きくアピールしました。その後も早稲田大学に進学し、自転車競技を継続。インカレや国体で優秀な成績を収めますが、やはりモータースポーツへの思いは捨てきれず、大学を休学して大きく路線変更することになります。

■大学休学、そして―

1996年にホンダは鈴鹿サーキットと組んで、若手レーシングドライバー育成のためのレーシングスクールである鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)を立ち上げました。これを知った琢磨は、まずそのスクールに参加すべくレーシングカートを始めます。名門アルデックス・ジャパンに所属した琢磨は才能を開花させ、翌年には念願のSRS-Fへ入学を果たします。セレクション時に当初予定されていなかった面接試験をスクール側に設けさせたというエピソードは、とても有名です。ここで琢磨はF1への夢や思いを語り、競争率10倍という狭き門をクリアしました。こうして琢磨は、本格的にモータースポーツの道へと足を踏み入れることになったのです。

■グランドスラムを果たしたF3時代

1997年、SRS-Fを首席で卒業した琢磨は全日本F3を経験したのち、単身渡英。新たなキャリアをスタートさせるべく、フォーミュラ・ボクスホールJr.に参戦します。その後2000年からは、イギリスF3にステップアップ。参戦初年度はクラッシュなども多く見受けられ精彩を欠くシーズンとなりましたが、翌2001年は大きく飛躍しました。この年琢磨は、下馬評どおりチャンピオンを獲得。イギリスF3にて日本人がチャンピオンを獲得するのは、初めてのことでした。そしてこの年は、F1への登竜門といわれるマールボロマスターズやマカオGPも制覇。F3ドライバーの頂点に登りつめ、F1行きが確実となりました。

■栄光と挫折を味わったF1時代

2002年、琢磨は史上7人目のフルタイムF1ドライバーとしてジョーダンよりデビューしました。

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