偉大なるプルービンググラウンド、ニュルブルクリンクとはどんな場所? (2/4ページ)

イキなクルマで

モータースポーツも当然盛んになりますが、当時のレースは一般公道を使うレースであったために危険が伴いました。そこでアイフェル地方議会は、ある議員から提案のあった「失業対策も兼ねた自動車サーキットの建設」を承認します。この計画はアイフェルの近隣大都市であったケルンのコンラート・アデナウアー市長(のちのドイツ連邦共和国初代首相)の賛同を得たことにより、ドイツ帝国崩壊のあとを受けたワイマール共和国議会が直接財政支援をする一大プロジェクトへと成長。こうしてニュルブルクリンクは1925年の着工から、わずか2年で完成しました。

■その名は「グリーン・ヘル」、ノルドシュライフェphoto by mariechen(CC 表示-継承 2.0)

ニュルブルクリンクを象徴するコースは、先述のとおりノルドシュライフェとなります。このノルドシュライフェは「グリーン・ヘル(緑の地獄)」とも呼ばれ、これはかの名レーシングドライバーであるジャッキー・スチュワートによって名付けられました。ここがそのような名で呼ばれる理由はいろいろありますが、まずは高低差が300mもある点です。この極端な高低差があることで、ノルドシュライフェを走るクルマは激しい三次元の動きに常にさらされます。最速クラスの市販車の場合、横Gは2.8Gに達することも。自然の地形を利用したものなので、高低差はいわば「なりゆき」のようなものなのですが、これほどまでにクルマに多くのことを要求するコースはほかにありません。そして地形を利用したものといえば、ブラインドコーナーの多さも挙げることができるでしょう。また、見通しが悪い割には平均スピードが高いという実にチャレンジングなレイアウトとなっており、クルマの特徴や性能の優劣が見極めやすいというのもポイントとなります。このようなことからノルドシュライフェは世界屈指の難コースとの呼び声が高く、多くの自動車メーカーやサプライヤーが開発やテスト目的で「ニュル詣で」に訪れているのです。

■ノルドシュライフェ最速の市販車は?

自動車メーカーのテストの最終仕上げとして行われることの多い、ニュルブルクリンク・ノルドシュライフェでのラップタイム計測。

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