【高校野球】小諸商、悲願ならず。渡辺静の夭逝で再確認する「No Baseball, No Life.」の尊さ (1/2ページ)

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小諸商、悲願ならず
小諸商、悲願ならず

 99回目を数える全国高等学校野球選手権大会。49地区の代表校が出そろい、8月4日の組み合わせ抽選会を経て、いよいよ7日に開幕。「夏の甲子園」が甲子園に、そして、お茶の間に帰ってくる。

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■長野代表は9年ぶり36回目の松商学園

 筆者が住む長野では、ノーシードの松商学園が優勝。9年ぶり36回目の出場を勝ち取った。一方、筆者が肩入れして見守った小諸商は、松商学園と準々決勝で対戦し、4対5で惜敗。松商学園の「古豪の壁」に跳ね返され、悲願の甲子園出場は持ち越しになった。

 それにしても、惜しい戦いだった! 東京ドームには、太平洋戦争で命を散らしたプロ野球選手を慰霊する「鎮魂の碑」があるが、そこに沢村栄治(元巨人)らとともに名を刻む小諸商OBの渡辺静も、草葉の陰で同じ思いでいるはずだ。

■惜敗も近年、力をつけてきた小諸商業

 先述の準々決勝は、小諸商が2回表までに4点をリードする展開だった。しかし、途中から登板した松商学園の2番手投手・青柳真珠の緩急を交えた投球に勢いを止められると、終盤に逆転を許して4対5で惜敗。

 春季長野県大会を制し、第1シードで今大会に臨んだ小諸商は好投手・高橋聖人を擁し、満を持して「甲子園切符」に挑んだが、ベスト8に終わった。

 残念ながら今夏の悲願達成はならなかったが、2011年に竹峰慎二監督が就任して以来、小諸商は力をつけてきた。直近の2年の夏はいずれもベスト4。佐久長聖などの甲子園出場経験校を脅かし、高校野球ファンの間でも知られる存在になってきた。しかし、今から70年以上前にも世間をアッと言わせことが実はあったのだ。

■夢断たれた青春時代

 小諸商が、世間を驚かせたのは、冒頭で触れた渡辺が小諸商で白球にかけた青春期を送った1941(昭和16)年のことだ。

 その年の4月、センバツの優勝チームで全国屈指の強豪だった愛知の東邦商(現東邦)が遠征にやってきた。約1万の観衆が見守るなかで行われた練習試合で、小諸商は延長12回3対3引き分けと下馬評を覆す大健闘を見せたのだ。

 当然、センバツ優勝校と互角に渡り合った渡辺ら小諸商球児の士気は、甲子園出場へ向け高まる。しかし、時代が彼らの夢を絶った。戦局の悪化を受け、7月に文部省が夏の甲子園中止の命令を下したのだ(中止期間は1945[昭和20]年まで続くことになる)。

 夢を目指そうにも目指す場がなくなったことに、渡辺たち当時の球児はショックを受けたはずだ。国際情勢が悪化していくなか、12月8日、日本は真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争に突入していく。

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