大都市・お江戸には”宿無し”もたくさん…仕事を斡旋してくれた「口入屋」が大活躍 (1/2ページ)

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大都市・お江戸には”宿無し”もたくさん…仕事を斡旋してくれた「口入屋」が大活躍

江戸時代に住民を管理していた書類とは

大都市の江戸には、住民登録していない者も多数。当時は住民登録という言葉がなく、現代の戸籍台帳の役割を果たすものは人別帳(にんべつちょう)と呼ばれていました。この人別帳に登録されない者が、無宿人です。その名前の通り、宿無しのことですね。無宿人になったいきさつは様々で、親に勘当された人もいれば犯罪を犯して夜逃げしてきた人もいたそう。

仕事するなら口入屋

無宿人でも、働き口が多い江戸では職業斡旋所の口入屋(くちいれや)が身元保証して奉公先を紹介してくれることもありましたが、すべての無宿人に仕事が見つかるわけではありませんでした。

当時の口入屋は、けいあんと呼ばれていたそう。それは、寛文時代に大和慶安という人が金品をとり婚姻の仲人を務めたことに由来しているとか。口入れ屋は、武家に奉公人を世話したり、参勤交代のときに足りない人数を世話したりしていました。武家の公務には一定の人数が必要なため、日雇いが必要になることが多かったのです。

無宿人の行く末は

日雇いの仕事で糊口をしのぎながらも、どうしても仕事が見つからないと乞食になるしかありませんでした。16人の乞食の親分がいて貰い場を分割して支配していたそう。願人坊主(がんにんぼうず)や瞽女(ごぜ)がいました。

願人坊主は僧侶の恰好をした乞食のことで、加持祈祷をしたりあほだら経を唱えて金銭をせがんでいたようで、主に神田橋本町に住んでいました。

一方、瞽女は盲目の女で、三味線を弾いたり唄をうたうことで金銭をもらいながら歩いていました。

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