【日本人が知らないニッポン】「商人都市」浜松のベンチャー気質(静岡県浜松市) (2/2ページ)
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その只中に、浜名湖を見渡す気賀があったのです。
気賀が儲からないはずはありません。
『直虎』でも、気賀はひっきりなしに貿易船がやって来る町として描かれています。そしてその経済力に目をつけた井伊直虎が、方久に協力を申し出るというシナリオです。戦国時代当時の井伊家は、そもそもが弱小領主だった上に貴重な男性後継者を次々と失っています。だからこそ女性である直虎が家督を継いだのですが、いずれにせよその勢力基盤は極めて脆弱なものでした。
それをカバーする最良の手段が、経済力を持つこと。史実の直虎が気賀商人のバックアップを取り付けていたという話は、充分に有り得ることなのです。
信玄は何を目指したのか
やがてこの浜松に、「甲斐の虎」武田信玄がやって来ます。
少し前まで信玄の西進は「京都へ向かい天下に覇を唱えるため」と言われてきました。ですが現在は、このあたりの動機は否定されつつあります。つまるところ、なぜ信玄が織田・徳川連合軍と戦う道を選んだのかは「解明されていない」のです。
ですが、信玄にとって浜名湖は魅力的なものに見えたのは間違いないでしょう。
武田領は山に囲まれ、海に面していません。ですから信玄は、駿府の太守だった今川を追いやってまで駿河湾を手に入れました。その上で浜名湖を支配できれば、より広い水上交易ルートと東海道最大の要所を我が物にできます。
つまり、この時点で浜松は戦略上の重要拠点だったということです。
ここで徳川家康は討ち死にの一歩寸前まで追いやられますが、辛うじて浜松城に踏み留まります。
そしてそこから、天下人としての大逆転を目指すことになるのです。
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