村上茉愛の快挙で汚名返上した池谷幸雄
カナダのモントリオールで行われた体操の世界選手権では、内村航平が故障するアクシデントに見舞われて同大会7連覇を逃したが、白井健三が盛り返し、女子では村上茉愛が1954年ローマ大会以来、全種目を通じて63年ぶりに金メダルを獲得した。
その村上を育てたのが、元メダリストの池谷幸雄氏だ。池谷氏は18歳まで村上を指導した。女子の体操選手は“17歳ピーク説”もあるほど、幼少期やローティーンの指導が重要だ。村上の快挙に“池谷嫌い”の関係者もその功績を認めざるを得なかった。
「池谷は22歳の若さで引退しました。その後は芸能プロダクションにも所属し、タレントとしてのテレビ出演だけではなく、事業にも手を伸ばしました。参議院選挙にも出馬しましたが、落選しています。体協協会のなかには、こうした池谷の一貫性のない行動をよく思わない人たちもいました」(体協詰め記者)
池谷氏が協会幹部をもっとも怒らせたのは“下半身スキャンダル”だった。2度の結婚と離婚があり、離婚の原因は池谷の浮気で億単位の慰謝料を請求された。詐欺被害にも遭ったが、「手口が幼稚。考えれば分かりそうなこと」とし、同情する声は全く聞かれなかった。
将来を見据えた育成法
参院選で落選したのは2010年。つまり、村上を自身の体操教室で教えていたころだ。「真面目に教えてるのか!?」と陰口を叩かれたが、今日の村上が池谷氏の指導熱心さを証明したともいえる。
「村上は太りやすい体質で、池谷は栄養士を教室に招いて体調管理に務め、体重がオーバーしているときは怪我につながると言って、練習をさせなかった日もありました。教え子の先をしっかりと見据えた指導だと思います。年齢に相応しい指導をし、基礎を教えて、のちの指導者に託すやり方です」(前出・記者)
村上が才能を開花させたのは、体重増減が落ち着いた大学生になってからだった。池谷氏は、教え子の飛躍で名誉を回復した。仕事の失敗を取り返せないまま、定年を迎えてしまう会社員もいる。後輩を育てて、のちに見返す。こういう人生のリベンジもあるようだ。