実は外国由来の神様が多い「七福神」

まいじつ

hashisatochan / PIXTA(ピクスタ)
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“苦しいときの神頼み”という言葉があるが、なかでも経営者や自営業者が頼みにするのが『七福神』だ。

七福神がなぜ“7つの神様”なのかについては諸説ある。《七難即滅、七福即生》いう室町時代の句に基づくという説や、中国で尊敬を集めた老子思考の文人たち『竹林の七賢人』に基づいているなどの説だ。

とはいえ“7”という数字は、国や文化を問わず人を引きつけるので、何となく7つの神様に収まったというあいまいな説が有力視されている。

改めて、7柱の神様は以下の通りだ。

大黒天(食物と財運の神)=インド、中国の神様 恵比寿神(商売繁盛の神)=日本の神様 毘沙門天(武運と財運の神)=インドの財運の神様、のちに中国で武運の神様になる 弁財天(福徳と財運の神)=インドの神様 福禄寿(長寿と財運の神)=中国の神様(道教) 寿老神(長寿の神)=中国の神様(道教) 布袋尊(千客万来の神)=中国に実在した僧侶

見渡すと、7柱のうち6柱が商売繁盛、財運、先客万来など商売にご利益がある神様であることが分かる。さらに日本の神様は恵比寿神だけで、ほかの神様はインドや中国の神様だ。

「日本の神道は、山や川などの自然や自然現象や神話の神、怨念を残して死んだ人に“八百万の神”を見出す多神教です。商売の神様を奉る要素はあまり見当たりません。商売繁盛の神様として最も知られる『稲荷神』も、もともとは稲の神ですから、農業の神様で商売をはじめ産業全般の神様になったのは、中世以降といわれています。京都にある総本山の『伏見稲荷大社』も、商人の人気を集めたのは江戸時代だったと伝えられているくらいです」(トラベルライター)

いまの七福神を広めたのは徳川家康

京都で発祥した“日本最古の七福神”を奉る『京都ゑびす神社』は、応仁の乱が勃発した室町時代の末から戦国時代にかけて、京都の商人たちが参拝し始め、庶民に広まったといわれている。つまり、商人たちは長引く応仁の乱にひたすら耐えるしかない心境から、七福神を崇めるしかなかったのだ。それで、戦の世に商売繁盛を願う商人たちは、外国の神様に救いを求めたのではないだろうか。

その後、世の中が落ち着いた江戸時代に、徳川家康が「七福神には『七福』があり、人の道に必要だ」と説いたことから隅田川周辺で“七福神めぐり”が盛んにおこなわれるようになった。このとき、家康の求めに応じて狩野派の絵師が描いた絵が、現在の七福神の姿と“宝舟”だ。だから、いまに伝わる七福神像は、徳川家康が広めたものなのだ。いまでは東京の至るところで七福神めぐりが行われている。

【画像】

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