紅白歌合戦「女たちの熾烈バトル」全秘話(1)<直撃1・水前寺清子> (1/2ページ)

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紅白歌合戦「女たちの熾烈バトル」全秘話(1)<直撃1・水前寺清子>

 小柄な体だが、そのハツラツとした姿は紅組リーダーの風格。幅広い層に愛されたチータこと水前寺清子(72)が、紅白に起きた22年のドラマを回想する。

──昨年は故郷・熊本の地震の影響もあり、紅白に「三百六十五歩のマーチ」でカムバックされるのでは、との予測もありました。

水前寺 そうでしたか。出る出ないに関係なく、支援は続けていきたいと今も思っていますよ。そうそう、実はあの曲は発売した年には紅白で歌っていなくて、発売から12年後(80年)に初めて歌ったの。

──22回連続出場を誇っていますが、初出場は65年、デビュー曲の「涙を抱いた渡り鳥」でした。

水前寺 私は星野哲郎先生のもとで4年間レッスンして、11曲も吹き込んだのになかなかデビューできなかった。それが予定より早くデビューが決まって、しかも紅白という大舞台。緊張はありましたが、紅組司会の林美智子さんが熊本のことに触れられ、そして「涙を抱いての初出場です」とおっしゃってくれたのかな。それが心強かったです。

──そして68年、三億円事件(12月10日)の記憶も生々しい大みそか、ついに紅組司会の大役を。

水前寺 その前の日に知らされたのかな。私、「歌は歌えるんですか?」ってまず聞いたの。

──と言うと?

水前寺 もし司会に専念で歌が歌えないなら断ろうと思って。幸い、歌手としても出場できましたけど。

──当時は両軍リーダーの選手宣誓がおなじみで。

水前寺 私、すごく緊張して心臓がドキドキして。かかりつけのお医者様にもらった精神安定剤を1錠飲んだら、胸がスーッとしたの。こりゃいいやと思ってもう1錠飲んだら、ヘロヘロになっちゃって。昭和43年を34年と言っちゃった。

──そして71年に2度目の紅組司会です。ここで紅白史に残る騒動とされるのが、女王・美空ひばりの曲紹介を拒否したとされる一件です。

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