闘将・星野仙一がすがった「波動療法」(3)「俺の野球人生に悔いなし」 (1/2ページ)

アサ芸プラス

闘将・星野仙一がすがった「波動療法」(3)「俺の野球人生に悔いなし」

 現役時代に投手と打者として対峙し、監督でも覇権を争った巨人の原辰徳球団特別顧問は、没後の取材で星野氏をこう評している。

「仏と勝負の鬼という両極端の顔を持っていました。私の知るかぎり、いちばん強い気合いの持ち主でした」

 スポーツ紙デスクが、二人の関係を解説する。

「原さんは03年に一度、巨人の監督を辞めた時、フロントとの不和で東京ドームではセレモニーをしてもらえなかった。不憫に思った星野さんは、シーズン最終戦の巨人戦終了後に花束を用意させ、甲子園で退任セレモニーを開いて『もう一度勉強して戻ってこい』と声をかけています。原さんはその気遣いにいたく感動していたんです」

 今回の取材でも、原氏は自宅でただ答えるのではなく、ちゃんとスーツに着替えてネクタイを締めてから応じたという。尊敬する先達への経緯がそうさせたのだろう。

 原氏が言うように、グラウンドでは“鬼”でも、裏では“仏”の顔を見せていた。例えば自分に尽くした選手やスタッフたちには、引退後も球団職員や打撃投手などの“再就職先”を必ず用意したという。

「他にも、誰かが交通事故や女性関係のトラブルを起こしても、全て星野さんが間に入って解決したと聞きました。阪神や楽天のお偉方も、かなり世話になっていたという話です」(スポーツ紙デスク)

 鉄拳制裁を行っても求心力が落ちなかったのは、こうした球界一の親分肌だったことにもよる。

 今年の正月、大学時代から苦楽を共にした親友・田淵幸一氏に送ったメールに、星野氏は次のような文章をつづったという。

〈おめでとう↓↓↓まだまだ体調戻らない!?歩くのトボトボ悲しいもの。娘の家で静養↓↓↓早く元気にしてゴルフできるよ頑張ります!いつもありがとう!〉(原文ママ)

 星野氏にごく近しい関係者が、「最期の闘い」に挑んでいた姿を伝える。

「亡くなる直前のメールの内容でもわかると思いますが、本人はまだまだ闘い、回復するつもりでした。なにしろ12月に入ってから、インフルエンザの予防注射まで打ったほど。死期を悟った病人のすることじゃありません。残念ながら屈してしまいましたが、ガン発覚時には『余命90日』と言われたのに、1年半も頑張ってくれた。

「闘将・星野仙一がすがった「波動療法」(3)「俺の野球人生に悔いなし」」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 1/25号膵臓ガン原辰徳星野仙一ガンエンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧