映画「空海」公開記念対談!「平安の超天才」は3カ月で密教の祖師になった(2)通訳なしで中国語を話した (1/2ページ)

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映画「空海」公開記念対談!「平安の超天才」は3カ月で密教の祖師になった(2)通訳なしで中国語を話した

河合 20代の空海は、山の中での修行をしていたのですが、31歳になって突然、遣唐使のメンバーに入り、中国・唐に渡ることになります。空海は一介の私度僧だったのですが、東大寺で得度(とくど)を受けて留学僧の資格を得たのです。ところで、遣唐使の船は何隻あったか知ってますか?

美甘子 えー、知りません。

河合 4隻です。つまり、どれかが沈んでもいいようにと。

美甘子 ちゃんと着けるかどうか、危険な航海だったんですね。

河合 空海が乗ったのは第1船でしたが、嵐にあって福州というところに漂着します。ちなみに、同じ船には、のちに空海、嵯峨天皇(さがてんのう)とともに三筆(さんぴつ)の一人となる橘逸勢(たちばなのはやなり)が、第2船には、空海のライバルが乗っていました。

美甘子 天台宗の最澄(さいちょう)ですね。

河合 空海の乗った第1船と最澄が乗った第2船はなんとか唐に到着するんですが、他の1船は途中で引き返し、もう1船は行方不明になるんです。福州に着いた時、現地の人に海賊かと疑われて船を下ろされ、砂の上で待機させられます。リーダーの藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)が、遣唐使だという手紙を漢文で書くのですが、子供のような文章しか書けずに信用されなくて。そこで空海に手紙を書かせたら、これがすばらしい名文で、観察使が感銘を受けてすぐに長安への旅を認めてくれたという逸話があります。

美甘子 へぇー、中国語というか漢文ですね。

── 原作の小説にもその名文が引用されています。

河合 空海は遣唐使として出発する前、すでに中国語をマスターしていて、通訳なしで自由に会話し手紙が書けたということで、語学も天才的な才能があったようですね。唐の都・長安(ちょうあん/現在の西安(せいあん))に着いて、空海はまずは密教に必要なサンスクリット語を3カ月ほどでマスターしたといいます。

「映画「空海」公開記念対談!「平安の超天才」は3カ月で密教の祖師になった(2)通訳なしで中国語を話した」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 3/1号空海-KU-KAI-美甘子河合敦空海カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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