映画「空海」公開記念対談!「平安の超天才」は3カ月で密教の祖師になった(3)最澄が空海に「弟子入り」志願 (1/2ページ)

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映画「空海」公開記念対談!「平安の超天才」は3カ月で密教の祖師になった(3)最澄が空海に「弟子入り」志願

河合 空海は密教の神髄を学んで、留学僧は20年いなければいけないところを勝手に2年余で帰ってくるんです。これは大変な違法行為だったので、それから3年間くらい都に戻らない。様子見をしていたのでしょう。一方、最澄は朝廷から派遣された特待生だったのでもっと短期間で帰国しましたが、空海が密教の経典や最新の土木技術の知識だとかを持ち帰ったことを知ります。空海が持参した経典や書籍、仏像、仏具、曼荼羅などの膨大な品々を目録にして朝廷に提出したからです。最澄は都の仏教界の重鎮(じゅうちん)でしたが、それに強く興味を示し、空海が都に入れるよう取り計らったといいます。

美甘子 最澄って空海のライバルだと思ってたけど、空海の才能を認めていたんですね。

河合 実は最澄のほうが7つ年上で偉い地位だった。でも、ライバルというより、空海からいろんなことを教わっていくんです。

美甘子 おもしろい関係ですね。最澄さんも柔軟で偉いですね。

河合 謙虚に教えを請うた最澄は本当に立派です。ところが、弟子のやりとりや、最澄が礼を尽くして密教の経典(理趣釈経・りしゅしゃくきょう)を借りたいと申し出たものの、密教は文字で伝えるものではないと、空海はその依頼を断った。そして2人の関係は悪くなるのです。

美甘子 考え方が違ったんですね。

河合 仏教は、それまで国家の平安を願う鎮護国家(ちんごこっか)という考え方が中心でしたが、空海はそれに加えて、個人の幸せを実現するという考え方を持ち込んだと言われています。加持祈祷(かじきとう)などによって人々の願いや幸せをかなえるということで、当時の貴族たちが集まってきた。嵯峨天皇なども空海を信頼し、東寺(とうじ)などの寺院を与庇護(えひご)しますが、空海は静かに修行できる場が欲しいと、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開きます。

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