吉永小百合の「過去・現在・未来」(1)駅の公衆トイレで着替えて… (1/2ページ)

アサ芸プラス

吉永小百合の「過去・現在・未来」(1)駅の公衆トイレで着替えて…

 まもなく73歳の誕生日を迎える「永遠の清純派スター」が、精力的に全国を回っている。通算120作目となる出演映画「北の桜守」のキャンペーンのためだ。ベールに包まれた顔、そして今なお熱狂的な「サユリスト」を持つカリスマ。この節目に至るまでいかなる道を歩み、どんな「この先」が待っているのか──。旧知の作家が秘史の扉を開く。

「まみさんと私は赤い糸で結ばれているんです」

 吉永小百合(72)がそう挨拶したのは、1990年6月に東京・銀座で催された私、中平まみの作家デビュー10周年の宴の席。78年9月、元日活映画監督で、小百合主演の映画を何作も撮った私の父・中平康の葬送の場で会って以来の対面だった。

 熱烈な「サユリスト」、そしてファンクラブの会員でもあった私は、自宅に招いたりはもとより、手紙、ファクス、時には取材などで、ある時まで小百合と交流を重ねてきた──。

 11歳でラジオドラマ「赤銅鈴之助」の声優として芸能界デビュー、15歳で日活に入社した小百合の女優としてのルーツは、子供時代にある。小学生の時、医療少年院に出向いての学芸会の劇。そこでお母さんウサギの役を演じたら、少年たちが涙を流して見てくれた。それが最初の快感、カタルシスを覚えた体験だった。

 日活入社前、初めての映画出演は、「朝を呼ぶ口笛」(59年・松竹)。新聞配達少年を励ます少女の役だったが、この頃、吉永家は貧しく、米びつがほとんど空になることもあったほど。まさしく極貧だったのだ。だから税務署が自宅に、家財道具などを差し押さえる赤札をベタベタと貼りに来たことも。

 そんな生活の中で、小百合は芸能活動を開始し、文字通り、家計を助けていた。吉永家は、彼女の支えがなければどうなっていたことだろう。

 そして父親の知人が日活の上層部にいた縁から、小百合は面接を受けに行くことになる。中学の卒業式の日、駅の公衆トイレで着替えた小百合は、精一杯大人っぽくしようとして口紅を引き、黒いタイトスカートに赤いブラウス、ハイヒールで向かったという。

 日活に入社すると、年に十何本という猛烈な映画出演契約が待っていた。

「吉永小百合の「過去・現在・未来」(1)駅の公衆トイレで着替えて…」のページです。デイリーニュースオンラインは、浜田光夫週刊アサヒ芸能 2018年 3/15号中平まみ北の桜守吉永小百合エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧