アニメを芸術にした巨匠・高畑勲監督の「未完成作品構想」

まいじつ

Tailsnake / PIXTA(ピクスタ)
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宮崎駿監督と並ぶ日本アニメーション界の巨匠で、テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』や映画『火垂るの墓』などを手掛けた映画監督の高畑勲氏が4月5日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなった。

「作品に没頭すると、寝食を忘れて会社にずっと泊まり込むほどの高畑監督は、昨年の夏ごろに体調を崩し、その後、入退院を繰り返していました。心臓が悪かったという話もあります。何事も突き詰める芸術家タイプで“採算を取る”というような計算をするクリエイターではなかったです。残した作品は、どれも海外で高い評価を受けています」(アニメ雑誌ライター)

高畑監督は東京大学卒業後の1959年に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で宮崎駿監督と出会い、アニメ制作会社をともに移籍しながら、1970年代には前述の『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』などで、アニメにおける映画的演出を確立した。1985年に宮崎監督らと『スタジオジブリ』を設立。大ヒット作を次々と世に送り出した。

徹底した取材によるリアルで自然な世界観に加え、「想像力が羽ばたく余地が生まれてこそアニメ」がモットーだった。こだわりが強く遅筆で、宮崎監督が「ナマケモノの子孫」と呼んだことも。1987年公開のドキュメンタリー映画『柳川堀割物語』は製作費を大幅にオーバーし、宮崎監督が自宅を抵当に入れる事態となって話題になった。

構想したまま実現しなかった作品

アニメ作りの情熱や姿勢は宮崎監督をはじめ、後進のアニメ関係者にも大きな影響を与えた高畑監督。SNSでは《新作が見たかったです》、《素晴らしい作品をありがとうございました》、《やすらかに眠ってください》などの手向けの言葉が並んでいる。

「各テレビ局とも、緊急で高畑監督作品を放映するでしょう」(テレビ雑誌編集者)

そんな高畑監督が構想し、実現していなかったのが『平家物語』だという。

「壮大な絵巻物語だったが、理想が高くて対応できるアニメーターが見つからなかったと聞いています。実現していたら海外の賞を総なめしていたかもしれません」(前出・ライター)

まさに巨星が墜ちた。

【画像】

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