天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 羽田孜・綏子夫人(下) (1/2ページ)

週刊実話

 日本新党の細川護煕がカネにまつわるスキャンダルで首相退陣を余儀なくされたあと、なお「非自民」政権に睨みを利かす新生党代表幹事だった小沢一郎(現・自由党代表)は、さて、次に誰を首相の座にまつり上げるかで悩んだ。
 折から、この「非自民」政権では、この小沢と公明党書記長の市川雄一のいわゆる「一・一コンビ」が呼吸を合わせていた。この「一・一コンビ」の手法の強引さにイヤ気がさした新党さきがけが「非自民」政権から離脱するなど、すでに結束にはヒビが入っていたのである。

 そうした中、細川後継に白羽の矢が立ったのが羽田孜だった。政局を見る目に動物的直感力のある小沢は、時に羽田にこう言った。
 「この“非自民”政権は長くない。それでもよかったら(首相を)やってみるか」
 羽田は「受ける」と返事をした。父親の羽田武嗣郎は8期の長きを務めた“ビンボー代議士”で栄達の政治生活を送ったわけではなく、あとを継いだ自分が首相の座に就けるならとの思いが強かったと思われた。

 しかし、羽田首班が決まった直後、こんどは社会党が「非自民」政権から離脱、この時点で羽田政権は少数与党を余儀なくされ、いよいよ身動きが取れなくなった。結局、小沢の“予言”どおり、一方で自民党などが内閣不信任案を持ち出したことで可決必至、羽田内閣は平成6年(1994年)度予算案成立直後に総辞職表明を余儀なくされてしまった。「羽田首相」の在任は65日。「3本指」で失脚した宇野宗佑首相の69日より短い、戦後2番目の「超短命内閣」で幕を下ろしてしまったということだった。
 しかし、羽田孜・綏子夫妻は、性来の明るさからか共にメゲることなく、間もなくそれ以前と変わることのない生活を取り戻していたのだった。

 羽田はと言うと、「新進党のマイク・ボーイ」の異名もあったように、「非自民」政権崩壊後に小沢と行動を共にした新進党のアピールに東奔西走、「普通の言葉」で演説に情熱をほとばらせたものであった。
 一方の綏子も同様で、代議士夫人としてはいかにも異色、夫の選挙区が長野県であるにも拘らず、東京・九段の衆院議員宿舎3LDKに夫ともども親子4人暮らしを続けた。

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