進化し続ける新幹線。その技術者たちの挑戦を追うノンフィクション (2/2ページ)

新刊JP

GHQから「航空の研究・生産の一切の禁止」が命令され、戦時中、陸海軍で軍用機の研究・開発・生産に従事していた優秀な技術者たちが行き場を失い、路頭に迷ってしまう。
そんな逆風下で手を差し伸べたのが、鉄道研究技術研究所に入り、後の新幹線車両に振動問題で活躍した松平精だ。こういった経緯から、国鉄は数百人規模の航空技術者を受け入れたのである。

そして、航空で培った経験と能力を鉄道の研究に思う存分活かすことを求めたのが、「新幹線をつくった男」島秀雄。
明らかに進んでいる航空機の先端的技術や理論を取り込むことで、経験主義に凝り固まりがちなこれまでの鉄道技術に新風を吹き込もうとした。

ただ、その後も鉄道屋と飛行機屋の対立は続いたのだが、昭和30年代の半ばになると、状況は変わってきたようだ。欧米で200キロを超す車両実験に成功したというニュースが報じられるようになり、電車を高速化するために、両者の知恵と技術と経験を合体し、協力し合うことが求められるようになった。

こういった鉄道マンと航空機の技術者たちの歴史があり、両者の共同開発のもと、東海道・山陽新幹線でいえば、300系、500系、700系、800系、N700系、N700A、N700Sと進化をさせていったのだ。

さらに航空と鉄道の技術の結びつきは進んでいる。
リニアの先頭車両では、三菱重工の名古屋航空宇宙システム製作所の航空機部門が全面的に参画している。これは、これまで以上に航空機開発の分野が重要だったからである。

歴代の新幹線の先頭車両の顔を見ると、超流線形をしたさまざまな相貌を持っている。こういった車両は、鉄道先進国といわれる欧米諸国においても見当たらず、日本ならではのオリジナリティーだという。

新幹線はどのように誕生し、進化してきたのか。新幹線の歴史を紐解いていくと、鉄道マンと航空機技術者をはじめとしたプロフェッショナルたちが挑戦してきた姿を追うことになるだろう。

(新刊JP編集部)

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