有名人「下半身騒動」の始末書!(3)<特別寄稿作家・田崎健太>破天荒芸人・月亭可朝の遺言 (1/2ページ)

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有名人「下半身騒動」の始末書!(3)<特別寄稿作家・田崎健太>破天荒芸人・月亭可朝の遺言

 本来、芸人とは一般の人間とは違う魔界の住人であった。観客は、彼らの破天荒ぶりや狂気を含めて愛し、その話術に夢中になったものだ。その意味で、月亭可朝は本物の芸人だった。気鋭のノンフィクション作家・田崎健太氏が、可朝に密着した最期の日々を描く。

 可朝の人生は“賭博”と“女”と“洒落”にまみれている。まずは競艇から。

「あれはな、麻薬と一緒や。予想していると安心すんねん。住之江(の競艇場)で二千万当たったこともあったわな。その時は、甥とか姪を呼んで、車買うてやったんや」

 最も多くの金をつぎ込んだのは野球賭博だったという。そして勝ち負けの金額が溜まると“換金”を行った。

「ホテルの前で、(隣の車の)窓と窓を合わせて(自分の車を)停めるねん。それでシューと(窓ガラスを)開けるわけや。それで賭けの(結果が書かれた)紙をお互いで確認する。“ということは一千万負けやな”とか。こっちが負けた場合は、向こうの車の窓に金を入れる。こっちが勝った時は、向こうの紙の袋からこっちにどんと入れてもらう。二千万ぐらい、勝つのも負けるのもあっという間やで」

 そして“打つ”に加えて“買う”ことにも精力的だった。

「若い頃の話やけど、飛田新地に気っぷのええ女郎がおったんや。年はわしよりも2つ、3つ上。綺麗な子やった。何とかしたいと思ったんで、車に布団を乗せて、その子を逃がして豊中のアパートに住まわしたんや。そやけど、アパートを借りたら金がなくなって、生活費も何もあらへん。生活できひんわな。そのうち、その子はまたどっかに働きに行って、関係は消滅したんや」

 可朝を世に出したのも女性だった。

〈♪ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ~〉

 と始まる「嘆きのボイン」(69年)は一躍、30万枚のヒット曲に。

「女を買いに行くときは、可朝ってバレんように隠して行きましたで。でも向こうが気をつこうてくれたんやろな。だいたいボイン(の女の子)をあてがってくれたなぁ」

 また彼はその人気を“洒落”で捨て去る潔さがあった。

 71年、参議院選挙に立候補。突然の出馬により、ほとんどのレギュラー番組から降板することになる。

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