武士の背中に風船?選ばれし者の証「母衣(ほろ)」の意味や役割ってなに? (1/2ページ)

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武士の背中に風船?選ばれし者の証「母衣(ほろ)」の意味や役割ってなに?

母衣は選ばれし者の証

見てください、この加藤清正像。何かまあるいものが背中にくっついてますね。つい「気球に~乗って~」と口ずさんでしまいそうですが、実はこれは立派な武具なんです。母衣といって、読み方は「ほろ」。実は戦の最中、放たれた矢や投石から身を守るもの。鯨のヒゲなどでできた骨組みに布を張って風船のように張ることで、矢が刺さらず体を守るということなんですね。合戦中は背後からの攻撃が一番危ないですからね。

しかしこの母衣、誰でも着用できるわけではありません。戦国時代は「母衣衆」と呼ばれる名誉ある役割だったのです。

有名なのは織田信長の黒母衣衆と赤母衣衆で、馬周りから選りすぐった親衛隊を配備。黒母衣衆は10人で佐々成政、赤母衣衆は9人で前田利家などがおりました。黒と赤に染め分けた母衣をまとい、颯爽と現れる様が目に見えるようです。

ちなみに豊臣秀吉は、黄母衣衆という馬廻から選り抜いた親衛隊を擁してました。

母衣武者は晒し首にすることなかれ

870年には「保呂」という名で『日本三代実録』に登場。小野春風という貴族が、新羅国からきた流人などによる海賊行為の防衛のため対馬に遣わされるときに、朝廷に大量の保呂が必要だと訴えたといいます。

12世紀には『吾妻鏡』に、源実朝が初めて鎧を着用したときに母衣をまとったとあります。この頃は組織としての母衣衆は存在しておりませんでしたが、母衣をまとうのはやはり特別な者という位置づけだったようで、「母衣武者の首を獄門(晒し首)にすればその首は成仏できないから扱いには気をつけるように」と戒められており、母衣武者の首は母衣で包むのが決まりとなっていたようです。

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