【日本人が知らないニッポン】意外と知らなかった「奈良の大仏」造立の理由 (2/3ページ)

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一度その地域で流行してしまうと、人口が一気に減少するということもよくありました。アメリカ大陸ではコロンブスの上陸以降、ユーラシア世界から天然痘が持ち込まれ原住民が次々に倒れました。天然痘だけで滅亡した部族もあるほどです。

だからといって、昔は天然痘感染を予防する手段などありません。日本で医学的な見地からの天然痘撲滅事業が始まったのは、19世紀中葉。それ以前は文字通り「神頼み」でした。

聖武天皇は、藤原四兄弟の死を目の当たりにして衝撃を受けます。それと同時に、仏教を中核に置いた鎮護国家を建設しようと本気で考えるようになります。仏教の力で困難をはねのける、ということです。

しかもそれは単なる思いつきではなく、とことんまでに徹底していました。

・「仏教国家」を目指した聖武天皇

先述の通り、聖武天皇の時代の日本は唐に多くの留学生を送っています。

その目的は、最先端の政治制度を日本に導入するため。もちろんその中には、仏教も含まれています。近代以前、国家と宗教は切っても切り離せないものでした。

このようにして唐の最先端の仏教学を取り込んで多くの寺社を建てていたのですが、問題が発生します。国内に仏教が普及すると、今度は勝手に僧侶を名乗って役得にすがろうとする人間が出てきました。

現代でも、ランドオペレーターという職業は最近まで「自称」で成立していました。ですが質の悪い業者が横行したため、来年1月からランドオペレーターも登録制となります。これと同じように、聖武天皇は僧侶を国家の登録制にしようと考えたのです。

ですが、ライセンスを発行するためにはそれを認定する人、その分野に精通した専門家がいなければなりません。ではどうしたかというと、唐から高名な僧侶を呼び寄せることにしました。

それが他でもない、鑑真和上です。

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