プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「佐々木健介」北斗晶との結婚で真の一流選手に覚醒 (1/2ページ)

週刊実話

 新日本プロレスやWJでトップを張った佐々木健介だが、そのしょっぱい言動によりファンから“塩介”とけなされた時期もあった。真のトップレスラーへの劇的変化は、鬼嫁の内助の功があってのことだった──。

 「無理偏に拳骨と書いて兄弟子と読む」
 “厳しい上下関係の元で弟子を鍛える”ことを表現した古い相撲界の言葉である。今なら体罰や暴力として裁判沙汰にもなりそうだが、こうしたしごきが日常的に行われていた時代が確かにあった。
 かつての新日本プロレスの道場における稽古もまた、これに似たものだったという。
 「あまりに理不尽な厳しさから、若き日の藤原喜明はコーチ役の山本小鉄を『いつか殺してやる』と、夜中にナイフで刺す練習までしていたといいます」(プロレスライター)

 何千回ものスクワットを課すような根性論がまかり通る特訓は、いわゆる科学的トレーニングとはかけ離れており、今なら「膝を壊す」と即座にストップされそうなものだが、しかし、これによって身についたものもある。
 新日の選手に特有の、ぶ厚い肉体もその一つだ。
 「ボディービルダーとはまた違う正しい筋肉の塊で、対抗戦では他団体の選手たちが『まともに当たればそれだけで壊されるんじゃないか』と、危惧していたと聞きます。普段はプロレスを馬鹿にしている人でも間近でその体を見れば、迫力に圧倒されてとても軽口など叩けませんよ」(同)

 その代表的な1人が佐々木健介だ。長州力に憧れてジャパンプロレスに入門した健介だが、身長が低く学生時代のスポーツ歴にも目立つものがないため、長州は当初「しごいて辞めさせてしまえ」との考えだったという。
 しかし、しごきを「プロレスの稽古とはそういうものだ」と素直に受け入れた健介は、これに耐え抜き、人並み外れた肉体とパワーを手に入れた。
 のちに新日道場のコーチを務めたときや自身の道場を開いたときには、過剰な指導ぶりを教え子たちから非難されることになるが、それは健介自身が通ってきた道であり、常軌を逸した鍛錬がプロレスラーにとって必要不可欠と信じてのことだったに違いない。

 健介の素直さは、ファイトスタイルにも顕著である。直線的に攻め立てる師匠・長州譲りのハイスパート・レスリング。

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