なぜそんな人物が?六歌仙なのにひとりだけ百人一首に撰ばれなかった「大友黒主」 (1/2ページ)

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なぜそんな人物が?六歌仙なのにひとりだけ百人一首に撰ばれなかった「大友黒主」

「古今和歌集」仮名序で紹介される六人の歌人

 「高野切」

905(延喜5)年、醍醐天皇の勅命により編纂された初の勅撰和歌集である「古今和歌集」。冒頭に、撰者の一人である紀貫之による仮名序があることはご存知でしょうか?

それまで雑多にあり、ただ詠まれていた和歌を初めて論じた歌論書としても価値がある文章です。

その仮名序において、貫之は和歌の歴史を語りつつ六人の歌人の名を挙げています。在原業平、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、小野小町、大友黒主(おおとものくろぬし)、喜撰法師(きせんほうし)。

歌川国貞「六歌仙」

在原業平や小野小町は平安一の美男美女として知られており、僧正遍照は天皇の孫であり位のある僧として知られています。でも、残りの三名はほぼ無名の歌人でした。今回紹介するのは、その無名の歌人のひとり、大友黒主(おおとものくろぬし [大伴とも])です。

大友黒主とは

まずは大友黒主とはどんな人物かを紹介しましょう。

大友黒主は、同音の「大伴」氏とは出自は別です。古来の日本豪族一族である大伴氏とは違い、「大友」氏は渡来系の一族。奈良時代ごろから現在の滋賀県を拠点にしている一族です。

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