「夏の甲子園第25回大会」伝説の大投手が導いた戦前最後の優勝校は和歌山代表! (1/2ページ)

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「夏の甲子園第25回大会」伝説の大投手が導いた戦前最後の優勝校は和歌山代表!

 戦前に開催された夏の選手権で生まれた最後のヒーローは、今や甲子園史上の伝説となっている大投手でもある。

 1939年第25回大会。優勝校となったのがその伝説の大投手・嶋清一を擁する海草中(現・向陽=和歌山)であった。旧制中学1年だった35年の夏に一塁手として甲子園の土を踏み、翌年から投手に転向した嶋だったが、その間に何度も甲子園で無念の涙を流していた。特に最上級生である旧制5年生となり、主将にも選ばれて挑んだ39年春の選抜は開幕戦に登場。中京商(現・中京大中京=愛知)との一戦となったが、試合中に指先のマメがつぶれ、血染めのボールを投げながらも2‐7の完敗を喫した。

 そして、そこから嶋の伝説が始まる。猛練習をこなし、雪辱を期して挑んだ夏の選手権の舞台がやってきた。もちろん嶋にとっては最後の夏の甲子園である。学生野球の父と言われた飛田穂洲氏はこの大会での嶋のピッチングを“天魔鬼神に等しい快投”と評しているが、その足を高く上げ、流れるようなフォームで左腕から投じられる剛速球と垂直に鋭く落ちるカーブは、当時の中等学校野球のレベルをはるかに超えるものだったと言われているのだ。

 初戦から嶋のその左腕はうなりをあげた。まず嘉義中(台湾)を5‐0(15奪三振・被安打3)、続く2回戦は京都商(現・京都学園)を5‐0(7奪三振・被安打2)、準々決勝では土井垣武(元・阪神など)や長谷川善三(元・南海など)らの強打者をそろえた米子中(現・米子東=鳥取)を3‐0(9奪三振・被安打3)、そして準決勝の島田商(静岡)戦は何と4四球を与えたのみの17奪三振でノーヒットノーランの快投。8‐0と大勝して一気に決勝戦進出を決めたのである。

 迎えた決勝戦の相手は下関商(山口)。この試合も嶋は2四球しか与えなかった。8奪三振の5‐0。なんと2試合連続のノーヒットノーランを達成し、海草中の春夏を通じて初の甲子園優勝に華を添えたのである。ちなみにこの試合で許した2四球の走者も、1人は二盗死、もう1人は一、二塁間の挟殺に仕留めており、二塁を踏ませることなく残塁0。まさに27人斬りの完璧な投球内容だった。

 この大会での嶋は45回を投げて154人の打者と対戦して被安打8、奪三振57。先頭打者の出塁を許したのはわずか3人。

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