名俳優・津川雅彦が逝去。多くの監督を驚かせた「ある才能」とは

まいじつ

名俳優・津川雅彦が逝去。多くの監督を驚かせた「ある才能」とは

ダンディで味のある名俳優・津川雅彦が亡くなった。8月4日のことだという。享年78。すでに葬儀は近親者で済ませたそうだ。

「テレビは緊急に『追悼 津川雅彦』として、映画のプログラムをこぞって組むでしょう。『マルサの女』や『あげまん』などは外せませんが、テレビのスペシャルドラマでも記憶に残る作品がたくさんあります」(テレビ雑誌編集者)

津川は1956年、映画『狂った果実』で銀幕デビュー。祖父が「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三監督で、兄は2011年に死去した俳優の長門裕之、義姉は09年に死去した女優の南田洋子という芸能ファミリーだ。

自身も73年に宝塚女優の朝丘雪路と結婚。おしどり夫婦として知られたが、朝丘が今年の4月27日にアルツハイマー型認知症のため死去。最愛の妻に対し、会見で津川は「大丈夫じゃないね。でも彼女を残すよりは良かった」「すべてに感謝している」と心境を語っていた。

死の直前まで復帰への執念を語る

「この朝丘さんの死去の会見が、津川さんが最後に公の場に出てきた場面になってしまいました。車いすで鼻に酸素吸入用のチューブを付けての会見でしたが、肺炎を患っていたといいます。死ぬ直前まで『あと1つくらい映画作品に出たい』と復帰への執念を語っていました。器用な俳優さんで、他の出演者の台詞も覚えてしまうほど。多くの監督がその記憶力に舌をまいていました」(映画関係者)

ネット上ではお悔やみの言葉が並ぶ。

《ドラマでは必ず重要な役で出ていた。津川さんの代わりは誰にも務まらない》
《あげまんでのメリハリが効いた演技が印象的だった》
《米倉涼子主演の黒革の手帖での不気味な実業家で大立て者を重厚に演じたのが記憶に残る》
《生まれ変わっても俳優をやると思わせるくらいの天職ぶりでした》
《奥さまが逝去され、気力が尽きたのでしょうね》

幅広い見識もあり、特にテレビ各局は重宝していたことだろう。津川のようなユーティリティープレイヤーを失った芸能界は、われわれが思うよりずっと喪失感が強いに違いない。

合掌。

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