天才テリー伊藤対談「宝田明」(2)麻酔もなくて裁ちバサミで手術を!? (1/2ページ)
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週刊アサヒ芸能 2018年 9/13号
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テリー そこまでの状況だと、お金の価値も一転しますよね。
宝田 もう日本円も満州のお金も使えませんから、ソ連軍が発行した「軍票」を使っていました。私がソ連兵を相手に靴磨きやタバコ売りをした時も、その軍票をもらったんです。
テリー 本を読むとよくわかりますけど、当時10歳の少年とは思えないほど、宝田さんはたくましいし、賢かったんですね。ロシア語もしゃべれたし。
宝田 ふだんから中国人やロシア人の子供たちと遊んでいましたから、片言ぐらいはしゃべれたんですよ。
テリー その時期に、命に関わるケガを負われたんだとか。
宝田 今でもここに残っていますよ(と、右脇腹を指さす)。ある時、走っている列車を見ていたんです。当時は関東軍が客車や貨物車に乗せられて、どんどん北のほうへ抑留されていた時で、うちも2人の兄が兵隊に行っていましたから。
テリー 帰ってこないお兄さんを心配されていたんですね。
宝田 ところが、もう少しよく見ようと列車に近づいていったら、中から兵隊が「帰れ、帰れ!」って言っているんです。「なんでだろう」と思っていたら、向こうからソ連の兵隊がタタタタッと走ってきて、こちらに72連発の自動小銃を撃ちまくってきたんです。それで転げ回りながら家に逃げ帰ったら、どうにも脇腹のあたりが熱くてしょうがない。見たら血だらけでした。
テリー 銃弾が当たったんですね。
宝田 ええ、母親に理由を話したら「バカ!」って叩かれましたけどね(笑)。
テリー 大変じゃないですか。どうされたんですか。