ペリー率いるアメリカ艦隊をおもてなし!江戸一番の料亭「八百善」のその後 (2/2ページ)
イギリス、ロシアに中国・・・近代以後も国際的な会食を受け持った八百善
こうして百川との協力体制の下、日本を代表して『おもてなし』する宴席を用意し、八百善はその偉名を更に高めます。一方でこの逸話には諸説があり、百川と共同だったのではなく、ペリーが八百善に来店したのだと言われるなど明確ではありません。また、この時に供された純和風の饗応は、味付けや素材などの面で今ひとつアメリカ側のお口に合わなかったと言う、少し残念なお話も伝わっています。
しかし、八百善が著名な料理屋であることは近代化以降、日本を訪れる海外の要人に知られていったのは紛れもない事実で、明治には来日されたイギリス王室やロシア皇室への歓待を受け持ち、昭和期に満州国皇帝の行幸があった時に料理を担当するなど、国内外ともに絶大な信頼と高評価を得ていました。
今も江戸時代から続く食文化とそれに込められた心意気を伝え続ける八百善一流の料理屋として国内外の要人をもてなす店として八百善を紹介してきましたが、八百善の業績はそれだけに留まらず、江戸料理を幅広い層に向けて提供していきます。上野に出店したのを皮切りに首都圏各地に進出し、関東大震災や第二次世界大戦の空襲に見舞われながらも、江戸時代から続く食の技術と心を守り続けていました。
現在も八百善は『割烹家八百善株式会社』としておせち料理などの通販や料理教室、出版を通して江戸料理を提供し続けており、今でも五大堂明王院(神奈川県鎌倉市)で料理屋としても運営しています。江戸の食文化について本格的に知りたい、味わってみたいと思われる方は、料理や書籍を通して今も守られ続けている八百善の“粋”と共に味わってみるのも良いかもしれません。
画像:Wikipedia『会席料理』『黒船来航』より
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