実は4度も名前を変えていた徳川家康。家康はなぜ「松平」から「徳川」に改姓したの? (2/2ページ)

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徳川家の家紋”丸に三つ葉葵(徳川葵)

さらなる改名(改姓)は、家康が24歳で三河守に任じられたときのこと。国主となるためには朝廷の許可が必要不可欠でしたので、家康も朝廷に「三河の国守に任じてほしい」との申請をしました。

ところが
「家康は氏素性がはっきりしないし、先祖に国主となった者もいないではないか」
という理由で断られてしまったのでした。

家康、名字を変えて三河守に!

そこで家康は、問題となった自分の氏素性を「きちんとしたもの」にして、なんとしても朝廷に自分を国主として認めてもらおうとします。

彼は摂関家の近衛前久(このえまえひさ)に依頼し、古い記録から

松平氏の祖とされる世良田義季が『得川氏』を名乗っていた 新田氏系の『得川氏』が『藤原』の姓を名乗ったことがある 家康の先祖が住んでいた徳河郷にちなんだ『徳川氏』は、元々は源氏の家系で、総領家は途中で藤原氏になった

という系図(真偽のほどは不明)を探させ、清書した上で朝廷に提出させました。おかげで家康は、彼個人のみという条件で「徳川」へ改姓(復姓)することが認められ、晴れて従五位下・三河守に任じられたのでした。

天下人たちはその地位を正式に認めさせるためなら、名前を変えることすらいとわなかったようですね。

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