巨人・原辰徳「独裁政権」を揺るがす反乱OB (2/3ページ)

日刊大衆

球団初となる選手経験者のGMだったが、たった1年あまりでクビを切られたことになる。

「表向きは成績不振の責任を取った形ですが、1年で成果が出るはずもない。原監督との関係性の悪さから切られたと、もっぱらです」(巨人番記者)

 原監督と鹿取氏の確執。鹿取氏は02年、原第一次政権が発足した際に、ヘッドコーチとして入閣した。

「鹿取ヘッドは先発ローテや継投など、投手起用に手腕を発揮し、チーム防御率は3.04でリーグトップに。巨人は日本一となり、鹿取ヘッドは原監督以上に称賛されました。しかし、これで2人の関係はギクシャクしてしまったんです」(前同)

 それを証明するかのように、鹿取氏は翌03年のシーズン中、ヘッドコーチからブルペン担当コーチへと“降格”している。

「これは投手起用法で原監督と衝突したからといわれています。しかも鹿取さんはシーズン終了前に退団していますから、両者の溝は相当なものだったはず。ちなみに、この年、チーム防さんたん御率は4.43と惨憺たるものでした」(同)

 今回、またしても原監督に巨人を追い出された鹿取氏の心中は、さぞかし穏やかではないことだろう。

 一方、十分な結果を出しながら、解任されてしまった人物もいる。川相昌弘前2軍監督(54)だ。今季、巨人の2軍は、イースタン・リーグを独走で優勝。さらに、9つある個人タイトルのうち、7つを巨人選手が独占した。しかしそれでも川相氏は、今季限りで2軍監督を退く。

「川相さんが解任されたのは、フェニックス・リーグ(若手選手が参加する教育リーグ)に臨むため、宮崎を訪れていたときのこと。こんな突然すぎるクビ通告は、原監督との確執抜きには考えられません」(同)

 2人の因縁は、第二次原政権にまでさかのぼる。川相氏は2011年から2軍監督を務め、13年から1軍ヘッドコーチに昇格。原監督をサポートする立場となった。

「もともと川相さんは、読売グループ内部で指導力を高く評価されていた。1軍ヘッドコーチに昇格したのも、フロントの意向だったといいます。しかし、当時の1軍ベンチは村田、斎藤といった“原ファミリー”が占拠。

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