清原和博も不満? 原辰徳VSアンチ4人衆! 巨人軍「大反乱クーデター」
全権を委ねられた指揮官がついに本格始動。しかし、その独裁ぶりに早くも内紛の動きが――。衝撃の内部事情!
低迷が続く巨人軍を復活させるべく、白羽の矢が立った原辰徳新監督(60)。今回が3度目の登板となる原監督は、過去に優勝7回、うち日本一3回という巨人史上屈指の名将。立て直しを託すには申し分ない実績を持ち合わせているが、球団はその手腕をさらに引き出すべく、大きなサポートを約束した。「就任会見で、山口寿一オーナー(61)は“チームに関しては原監督にすべて、お任せする”と明言。チーム編成をすべて掌握する“全権監督”が誕生しました」(スポーツ紙デスク)
確かに、危機的状況をスピーディに改革するためには、全権監督によるトップダウンは効果的だろう。しかし、これが原政権の火種にもなりかねないという。「原監督の独断により、カヤの外に置かれてしまった人たちがいるのも事実。原監督の権限が強すぎるあまり、反発どころか“大反乱”の恐れすら出てきてしまっているんです」(前同)
その兆しが見えたのは、10月23日に発表された来季のコーチングスタッフ。コーチ経験のない人材が多く登用された一方、高橋由伸前監督(43)時代から続投したメンバーのほとんどが、かつての原政権でコーチを務めた“原一派”ばかりなのだ。「“助さん格さん”といわれた村田真一(54)、斎藤雅樹(53)両コーチこそ辞任しましたが、吉村禎章(55)、木村龍治(48)など、原政権おなじみの面々は続投。しかも昨年退団したばかりの後藤孝志( 49)、秦真司(56)まで入閣している。2人がたった1年で復帰できたのは“原一派”だからこそでしょう」(スポーツ紙ベテラン記者)
これまでの原政権でも、たびたび批判されてきた“お友達内閣”は、今回も健在だったのだ。
■鹿取義隆前GMが粛清
原全権監督の恩恵を授かる者がいれば、粛清される者もいる。その筆頭は鹿取義隆前GM(61)だろう。鹿取氏が巨人のGMに就任したのは2017年の6月。球団初となる選手経験者のGMだったが、たった1年あまりでクビを切られたことになる。「表向きは成績不振の責任を取った形ですが、1年で成果が出るはずもない。原監督との関係性の悪さから切られたと、もっぱらです」(巨人番記者)
原監督と鹿取氏の確執。鹿取氏は02年、原第一次政権が発足した際に、ヘッドコーチとして入閣した。「鹿取ヘッドは先発ローテや継投など、投手起用に手腕を発揮し、チーム防御率は3.04でリーグトップに。巨人は日本一となり、鹿取ヘッドは原監督以上に称賛されました。しかし、これで2人の関係はギクシャクしてしまったんです」(前同)
それを証明するかのように、鹿取氏は翌03年のシーズン中、ヘッドコーチからブルペン担当コーチへと“降格”している。「これは投手起用法で原監督と衝突したからといわれています。しかも鹿取さんはシーズン終了前に退団していますから、両者の溝は相当なものだったはず。ちなみに、この年、チーム防御率は4.43と惨憺たるものでした」(同)
今回、またしても原監督に巨人を追い出された鹿取氏の心中は、さぞかし穏やかではないことだろう。
■川相昌弘は高橋由伸監督の後任として有力だったが
一方、十分な結果を出しながら、解任されてしまった人物もいる。川相昌弘前2軍監督(54)だ。今季、巨人の2軍は、イースタン・リーグを独走で優勝。さらに、9つある個人タイトルのうち、7つを巨人選手が独占した。しかしそれでも川相氏は、今季限りで2軍監督を退く。
「川相さんが解任されたのは、フェニックス・リーグ(若手選手が参加する教育リーグ)に臨むため、宮崎を訪れていたときのこと。こんな突然すぎるクビ通告は、原監督との確執抜きには考えられません」(同)
2人の因縁は、第二次原政権にまでさかのぼる。川相氏は2011年から2軍監督を務め、13年から1軍ヘッドコーチに昇格。原監督をサポートする立場となった。
「もともと川相さんは、読売グループ内部で指導力を高く評価されていた。1軍ヘッドコーチに昇格したのも、フロントの意向だったといいます。しかし、当時の1軍ベンチは村田、斎藤といった“原ファミリー”が占拠。ほとんど何もさせてもらえなかったみたいですね」(巨人関係者)
そんな中、14年と15年に、原監督が実父の病気などで6試合離脱。川相ヘッドが代理で指揮を執った。「このときの成績は、なんと5勝1敗。ナベツネさん(渡邉恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆)も“原がいなくても勝てる” とベタ褒めでした。そして、どんどん川相さんの評価が上がっていき“ポスト原” の最有力にまでなった。何度もチームを優勝させてきた原さんにしてみれば、けっして面白くはないでしょう」(前出の巨人番記者)
確かに今回も当初は、由伸監督の後任として、「川相監督・中畑GM」が内定したといわれていたのだ。「川相自身は、今回の“次期監督説”を否定。しかし取材陣には、若手育成の任を、志半ばで解かれた無念さをにじませていました。内心、不満はあるんでしょうね」(前出のデスク)
■中畑清は目の上のたんこぶ
川相氏と同様に“GM就任”というハシゴを外され、宙に浮いてしまったのが中畑清氏(64)。「10月に入り、吉田輝星、根尾昂をはじめ、ドラフト1位候補の資料を熱心に集めていたそうです。さらには自らの足で、精力的に情報収集に動いていたんだとか……」(スポーツ紙記者)
すっかり“その気”だった中畑氏の今の心境は、察するにあまりある。「堀内恒雄監督時代に、助監督の就任要請を蹴って以来、中畑の巨人入閣の芽はなくなっていた。そこに、監督をも操るGMという要職での復帰話だから、当人の意気込みはかなりのものだったはず」(球界事情通)
しかし原監督就任で、すべてが白紙に。どうやら原監督にとって、中畑氏の存在は“目の上のたんこぶ”だったようだ。「中畑は、言動や行動が何かと派手だし、GMに座れば、原以上に注目を集めるのは目に見えている。そのあたりも含め、原が年長者の中畑を扱いにくいと思うのは当然のこと。もっとも、それは原が中畑をあまり買っていないということでもあるんだけどね」(前同)
■元木大介が許せない清原和博
そして、もう一人、原監督の人事に不満を持つといわれる人物がいる。巨人第64代4番打者・清原和博氏(51)だ。ただし、原監督と確執のあった川相氏らとは、少々事情は異なるようだ。「原さんは第一次政権時、“4番は彼しかいない”と清原を信頼。清原も“リーダーに一番ふさわしい人”と原さんを慕っていた。2人の関係は悪くありません」
こう話すのは前出の番記者だ。では、なぜなのか。「ズバリ元木大介(46)の存在です。元木が今回1軍コーチになったことが、大きな禍根となってしまったようなんです」(番記者)
現役時代、巨人に移籍した清原氏は、気の合う後輩を集めて“清原軍団”を結成。遊びはもちろん、チーム内にも影響力を持っていた。「軍団のナンバー2として、清原とベッタリだった元木ですが、現役引退後は“交流はまったくない”と公言し、無関係を強調していました。清原には現役時代から薬物疑惑がありましたから、“黒いウワサ”が自分にまで振りかからないようにしたんでしょうね」(同)
16年に清原氏が薬物で逮捕された際も、元木氏は一切、口を開かなかった。「親密だった清原との関係を切ることで、元木はU-12日本代表の監督就任、そして巨人コーチ入閣まで果たした。しかし見方を変えれば、かわいがってくれた兄貴分を裏切り、自己保身に動いた結果とも言えるわけです。仁義に厚い清原にしてみれば、元木は許し難い存在のはず。その怒りが、元木を起用した原監督に向かっても不思議ではありません」(前出のデスク)
原独裁に不満を持つ、巨人大物OBたちの“反原4人衆”。彼らが反旗を翻し“クーデター”を起こせば、さらに巨人は危機的な状況に向かってしまうだろう。
■長嶋茂雄が救世主に
そんな中、双方の仲裁に動く人物がいるという。ミスターこと長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(82)だ。長嶋氏といえば、8月の緊急入院以降、闘病中の身。本紙既報通り、10月には「誤嚥性肺炎」という、死にも至る病を患っていたことが分かっている。
「確かに、ミスターが誤嚥性肺炎になった際には高熱も出て一時かなり危ない状況でした。しかし今では持ち直し、さらには入院のきっかけとなった胆のう炎にも大きな“変化”があったそうです」(球界関係者)
長嶋氏が患う胆のう炎とは、胆のうに起こる炎症のこと。そのほとんどは、胆のうに石ができる胆石症(胆のう結石症)をも併発しているという。「実は入院してからの3か月、胆のう炎の手術を受ける機会を伺っていたんです。しかし、ミスターは80歳を超える高齢のため、かなり危険な手術になることも想定された。そのため、体調が完全に良いときを選ぶ必要があり、なかなか“危険手術”に踏み切れなかったといいます」(前同)
だが、その間、病状は悪化。一時は「黄疸が出るなど深刻な状況」(関係者)にまでなっていたという。「しかし最近、ようやく胆のう炎の手術が極秘に行われ、大成功したようです。“危険手術”まで3か月かかりましたが、無事に胆石も取れて、あとはミスターの体力が戻り、11月中の退院を待つばかりです」(同)
そして、その後、“巨人軍終身名誉監督”として原監督と不穏分子の仲裁に入るとささやかれているのだ。「ミスターは、“常勝巨人のためなら派閥やしがらみなど無意味”という考えの持ち主。さまざまな思惑や人間関係が衝突する中に割って入り、巨人軍を一本化できるのはミスターしかいません」(ベテラン記者)
“救世主”長嶋氏の復帰を心待ちにしたい。