天下人・家康も恐れをなした!?妖刀「村正」と徳川家にまつわる因縁とは (4/5ページ)

Japaaan

そのまま逃走する岩松八弥を追い駆けて討ち取ったのが、前に清康を殺した阿部弥七郎正豊を討ち取った植村新六郎氏明。

二代にわたって主君の殺害に遭遇し、その犯人を討ち取るとは思わなかったでしょうね。

ちなみに広忠は享年24歳、遺された竹千代はたった7歳。

竹千代が数々の苦難を乗り越えて家康となり、松平家を再興して徳川家の天下を実現するまでの物語は、今なお聴く者の胸を打ち続けます。

家康の嫡男・信康

勝蓮寺蔵・徳川信康肖像。

祖父も父も「村正」によって失った家康ですが、嫡男である徳川三郎信康(とくがわ さぶろう のぶやす)もまた「村正」で失うことになります。

天正七1579年、信康に嫁いでいた織田信長の娘・徳姫(とくひめ)と、信康の母で家康の正室である築山殿(つきやまどの)の「嫁・姑戦争」がこじれ、母に味方する信康ともども頭にきた徳姫が父・信長に「信康と築山殿が武田勝頼と内通している!」と言いつけます。

これにキレた信長が、信康と築山殿の処刑を要求。信長を敵に回しては生きて行けない当時の家康は、泣く泣く二人を処刑したのでした。

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