天下人・家康も恐れをなした!?妖刀「村正」と徳川家にまつわる因縁とは (1/5ページ)
村正(むらまさ)と言えば、そのシャープで迫力に満ちた作風や、斬れ味の良さから日本を代表する名刀の一つとして知られ、三河(現:愛知県東部)を中心に多くの武士たちから愛好されました。
名刀「妙法村正」の銘。青丸部分に「村正」とある。
しかし、その三河を御膝元に治めてきた徳川家康は、家臣たちに村正の帯刀を禁止するようになります。
カッコよくて斬れ味がいいなら、さぞかし実戦で役立つでしょうに、どうしてなんでしょう。それは村正が「妖刀」と呼ばれたことにも由来するのですが、今回は徳川家と村正の因縁について紹介します。
家康の祖父・松平清康随念寺蔵・松平清康肖像。岡崎市指定文化財
時は戦国・天文四1535年12月4日、三河国を統一した松平次郎三郎清康(まつだいら じろうさぶろう きよやす)は、織田弾正忠信秀(おだ だんじょうのちゅう のぶひで)の治める尾張国(現:愛知県西部)を征服するべく、一万余の兵を率いて守山城へ出陣。