セックス・ピストルズの仕掛け人「マルコム・マクラーレン」のパンクな葬儀 (1/2ページ)

心に残る家族葬

セックス・ピストルズの仕掛け人「マルコム・マクラーレン」のパンクな葬儀

1970年代後半にイギリスを席巻したパンクムーヴメント。その火付け役だったのが、1975年にデビューしたバンド「セックス・ピストルズ」だ。「アナーキー・イン・ザ・UK」「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」といった反体制的な歌詞、安全ピンを取り入れた攻撃的なファッション、メンバーのスキャンダラスなライフスタイルなどでメディアから注目されたセックス・ピストルズ。しかし、こんな反逆児の代表のようなピストルズ誕生の背景には、奇抜なアイデアで時代を先読みする仕掛け人がいた。それがマルコム・マクラーレンだ。

■マクラーレンの一大プロジェクトに過ぎなかった「パンク」

1960年代、アートスクールに通っていたマクラーレンは、そこで後のカリスマファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッドと出会い、2人は1971年にロックをコンセプトとしたブティックをオープンする。

その後渡米し、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらのニューヨーク・パンクに影響を受けたマクラーレンは、帰国後、パンクミュージックで「音楽業界を破壊する」策略を立てる。そこで目をつけたのが、店に出入りしていた不良少年たちのバンドだ。マクラーレンは、ヴォーカルに自らが選んだジョニー・ロットンを加え、バンド名を「セックス・ピストルズ」と改めると、当時の音楽シーンを根底から否定するようなシンプルなロックサウンドで鮮烈にデビュー。ピストルズとパンクファッションは、またたくまに英国に大ブームを巻き起こした。

しかし、麻薬漬けのベーシスト、シド・ヴィシャスの死をもって、そのムーヴメントはわずか2年であっけなく終焉を迎える。ところが、マクラーレンは立ち止まらなかった。これからどうするのかと問いかけたヴィヴィアンに、マクラーレンはこう答えた。

「これからは、ロマンティックの時代だよ」

この後、1980年代のUKミュージックは、ニュー・ロマンティック、もしくはニュー・ウェーヴと呼ばれる時代に突入して行く。

■最高にクールだったマクラーレンのお葬式

「どんなときでも、とにかくファッションだ」

そう言って流行を作り続けたマクラーレンは、2010年に64歳で亡くなった。

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