お客の耳垢をとる「耳垢取り」?まだまだある多種多様な江戸時代のビジネス (1/2ページ)

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お客の耳垢をとる「耳垢取り」?まだまだある多種多様な江戸時代のビジネス

先に筆者は「屁負比丘尼」の記事で、「下級階層の人たちはどんな手段を使っても日銭を稼がなければならず、そのため日常生活の至るところに「職業」が入り込む余地がありました」と紹介しましたが、江戸時代は現在の感覚からするとびっくりするようなビジネスが江戸時代にはたくさんありました。

ミッション「奥方の辱めを代行せよ!」江戸時代に存在したオナラの身代わり業「屁負比丘尼」

お客の耳垢をとる「耳垢取り」

例えば「耳垢取り」。これはその名の通り、お客の耳垢をとってくれるサービス。貞享年間に書かれた絵に「江戸神田紺屋町三丁目長官、耳垢取り唐人越九兵衛」という名前が見えます。

また、正徳年間に書かれた『老人養草』の中に「京の辻々に耳の垢とりといって毛紅人(おらんだ人)のかたちに似せて…」とあることから、服装は唐人姿が多かったようです。だいたい元禄末か正徳頃まで存在していたようです。

現在でも都内を中心に耳かきエステのお店がありますが、もしかしたらこのビジネスはそのはしりかもしれません。

財産を地下に保管しておく「穴蔵屋」

また、財産を火災などの災害から守るために地下の防火倉庫に保管しておく「穴蔵屋」というものもありました。現代では「貸し倉庫」がその役割をしているかもしれません。

「小判売り」という職業の人たちは、「ゑんぎにひとつかひましやう」「ゑんぎの百両かふていかつしやれ」と大声を出して商人が売り歩いていたといいます。これは本物の小判を売っていたというわけではなく、神社や仏閣の祭礼で縁起物として参詣の人々に売ったと伝えられています。

惚れ薬として効果があるとされたいもりの黒焼きを売っていた「いもり売り」なんていう職業もあったようです。

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