松田聖子と中森明菜「あなたには負けない」“知られざる”36年の秘話

日刊大衆

松田聖子と中森明菜「あなたには負けない」“知られざる”36年の秘話

 1980年、秋に引退する山口百恵(59)の所属レコード会社のCBSソニー(当時)は、“ポスト百恵”発掘を急務とした。

 オーディションでソニー関係者にスカウトされ、大手芸能プロダクション・サンミュージック入りした松田聖子(56)が18歳でデビューしたのは、その年の4月だ。ただし、彼女はプロ野球選手にたとえると、ドラフト会議での外れ1位指名のような新人だった。

 というのも、当初、ソニーとサンミュージックには、中山圭子という別のイチオシ新人がいたのだ。

「聖子より2歳若い彼女は80年2月にデビュー。ところが期待を裏切り、コケてしまう。そこで両社は、無慈悲にも早々と中山に見切りをつけ、二番手に控えていた聖子に宣伝予算をつぎ込むんです。なお、デビューに際し、“新田明子”なる芸名も候補に挙がっていたとか」(音楽関係者)

 デビュー曲『裸足の季節』発売時のキャッチフレーズは、「抱きしめたい! ミスソニー」。“ポスト百恵”本命への格上げだった。

 80年組の女性アイドルは他に、岩崎良美(57)、河合奈保子(55)、三原順子(54=現・じゅん子)、柏原よしえ(53=現・芳恵)らがいたが、2曲目の『青い珊瑚礁』のヒットで、聖子はトップに浮上する。

 当初は“ぶりっ子”と揶揄もされたが、8枚目の『赤いスイートピー』の歌詞が共感を呼び、女性からも支持を集めていく。

「曲の魅力だけではなく、仕事の充実と、女の歓びを同レベルで追求し続けたことで、聖子は女性ファンを増やしていきます」(元女性週刊誌記者)

 デビュー2年目には、歌手の郷ひろみ(63)との交際が報道されている。その頃、中森明菜(53)は、オーディション番組『スター誕生』(日本テレビ系)への3度目の挑戦で芸能界への切符をつかんだ。

「6人きょうだいの5番目として生まれた彼女は、経済的に恵まれない家族のため、お金を稼ぐ手段として歌手を志したとか」(前同)

 デビューはアイドル豊作年である82年。明菜が5月に『スローモーション』でデビューした時点で、松本伊代(53)、小泉今日子(52)、堀ちえみ(51)、石川秀美(52)、早見優(52)が、すでに世に出ていた。

「デビュー時は、“ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)”という珍妙なキャッチフレーズでした。関係者に迷いがあったのかもしれません。“森アスナ”の芸名も検討されていたとか」(テレビ関係者)

 そのブレイクは、2曲目の『少女A』。聖子と対極のツッパリ路線がハマった。次の『セカンド・ラブ』の大ヒットにより、明菜は一気に聖子のライバルの位置に到達する。

 2大アイドルのデッドヒートは、2年半ほどで一時休戦となる。聖子が次のステージに進むからだ。郷ひろみとは破局するが、それから、わずか3か月後に、石原軍団の一員である二枚目俳優・神田正輝(68)と婚約するのだ。85年6月、“聖輝の結婚”はテレビで放送され、高視聴率を記録した。

「当時は裕次郎が存命中で、神田のブランド価値は高かった。この時期から、彼女は私生活をプロモーションに結びつけていきます」(芸能プロ関係者)

 さらに聖子は仕事が早い。すぐに妊娠し、しばしの休養期間に入っている。ライバルが不在の間、明菜は独走体制に。85年に『ミ・アモーレ』で、86年は『DESIRE-情熱-』で、日本レコード大賞を連続受賞。頂点に君臨した。だが、そんな彼女も恋をしていた。相手はジャニーズ事務所所属の近藤真彦(54)。トップアイドル同士の恋愛は双方のファンをヤキモキさせたが、一方で、これをビジネスにしようと企む大人たちもいた。映画『愛・旅立ち』(85年)で2人が共演したのだ。

「明るい青春映画ではなく、丹波哲郎が出演する超常現象映画。今はカルト映画扱いです」(映画関係者)

 聖子は、86年に神田沙也加(32)を出産して復帰。翌年の第1弾シングル『Strawberry Time』がオリコン1位を獲得し、“ママドル”と呼ばれる。さらには、事業家としてブティック「フローレス・セイコ」も成功。すべてを手に入れた感があった。

 聖子が、復活しても人気が不動なのに対して、その頃から明菜には暗い影が見え隠れする。

 現在発売中の『週刊大衆』1月21日号では、続けて松田聖子と中森明菜を特集。2人が歩んだ36年間の知られざる日々を振り返る。

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