本当に「少女を抱いた」のは…?坦山和尚が実践した「仏道」と「女人禁制」のバランス感覚 (1/3ページ)
僧侶は性欲(煩悩)を掻き立てて修行の妨げになる女性を少しでも遠ざけようとします。我欲にとらわれていては、いつまでも仏道が成就できないからです。
今回はそんな「女人禁制(にょにんきんせい)」について、とある和尚のエピソードを紹介したいと思います。
主人公・坦山(たんざん)和尚のプロフィール今回の主人公は坦山和尚こと原坦山(はら たんざん、文政二1819年10月18日生~明治二十五1892年7月27日没)。
俗名は新井良作(あらい りょうさく)、15歳で江戸の昌平坂学問所に入学して儒学や医術を修め、栴檀林(後の駒澤大学)で教鞭をとりますが、思うところあって出家、坦山と改名します。
厳しい修行の末に悟りを開き、後に名刹の住職などを歴任するのですが、今回は坦山が壮年時代、仲間たちと共に諸国を周遊していた時の出来事です。
「ハイちょっとごめんなさいよ」旅の道中、少女を助ける昔、坦山和尚が仲間の奕堂(えきどう)と二人で旅をしていると、膝まで埋まりそうな泥濘(ぬかるみ)の狭い道に差しかかりました。
すると、その向こうから16歳くらいの少女が歩いて来ましたが、道は狭いし足元も悪いし、おまけにこちらは二人とも大柄なので、うまくすれ違うことが出来ません。