病を治すという奇跡の水が湧き出るルルドの泉の治癒率と本当の奇跡

心に残る家族葬

病を治すという奇跡の水が湧き出るルルドの泉の治癒率と本当の奇跡

世界最大の聖地とはどこだろうか。イスラム教のメッカ、キリスト教の聖墳墓教会など聖地と呼ばれる場所は数多い。中でもイェルサレムはイスラム、キリスト、ユダヤにまたがる世界最大の聖地といえる。しかしこの「最大」が巡礼者の数を指すならば、それは年間500万人の巡礼者が集まるフランス南部の小さな村、ルルドである。ルルドには聖母マリアが出現する奇跡が起き、万病を治癒するという有名なルルドの泉がある。医師に見放された病人や怪我人は救いを求めて聖地を目指す。しかしルルドはそうしたイメージにとどまるものではない。彼らがルルドに求める救いとは。

■ルルドの奇跡とは

1858年2月11日、フランスの寒村、ルルドで奇跡は起きた。この日、14歳になるベルナデット・スビルー(1844~1879)は、妹のトワネットと友達のジャンヌと一緒に、薪を拾うため、洞窟へ向かっていた。

そこで彼女は「柔らかな光に包まれ、白い服を着て青い帯をした若く美しい女性」を見たという。恐れを抱いた彼女だが祈りを捧げると優しい笑みを浮かべ消えた。これがその後、18回に及ぶ聖母マリア出現の奇跡の始まりだった。

彼女が何を見たのかはわからない。しかし嘘はついていないように思われる。奇跡の目撃者 ベルナデットには多くの人が参じたが、彼女は奇跡について語ることはほとんどなかった。金品などは教皇などやむを得ない場合を覗き、受け取ることはなく、メディアに出ることもなく生涯、一修道女として人生を全うした。

9回目の出現で湧いた泉が難病を治すという奇跡の泉である。しかし、彼女は冷静で理知的であり、自らが病を患った時には泉に行くことなく通院している。ベルナデッドは真の奇跡とはそのようなものではないことを知っていたのだ。

■ルルドの泉の低い治癒率

ルルドの泉はいわゆる奇跡の水の代名詞のような存在だ。知名度は広く聞いたことがないという人は少ないだろう。筆者も病弱だった少年期に憧れたものだ。しかし実際に難病が治癒したのかというとそうでもないことが明らかになっている。

ルルドにおける奇跡の基準は非常に厳しく、この公認のための検証は、ルルドの認定医師団が申請のあった事例を調査し、ふるいにかけることから始まる。その後カトリック教会による厳正な審査が行われるが、2009年3月時点で、カトリック教会が詳細に検証した結果、「奇跡」として公認している事例は約2500件の治癒例のうち68件である。しかし注目すべきは、奇跡とはみなされなかったものの、治癒したという例ですら、この130年でたったの2500件であることだ。年間500万人の奇跡の聖地でのこの数は希少と言わざるをえない。



■ルルドの泉には医学的な治癒とは無関係な救いと癒しが存在するのかもしれない

ルルドは確かに科学を超越した神秘的な土地であるようだ。比較文化史家 竹下節子は病人を中心にプログラムされているというルルドの非日常的な状況において、病人が変性意識状態に陥り医学では説明できない治癒をもたらすことはありうると述べている。カトリックの認定とは別に一定数の治癒が報告されていることもまた事実なのである。

しかし、それらを考慮しても巡礼者数からみれば治癒率が特別高いとも言えない。筆者はそれにも関わらず世界中からルルドを訪れる人が絶えないのは、医学的な治癒以上の救いと癒しがあるのだろうと思う。

先ほども書いたが、ベルナデッド自身が泉には見向きもせず、病院で治療しているし、そもそも聖母マリアはベルナデッドに万病を治癒する泉などとは一言も言っていない。マリアはベルナデッドに「泉の水を飲んで洗いなさい」と言っただけである。竹下はこの言葉は病気を治すといった実在的な意味ではなく、宗教的な浄めの意味であると指摘する。

奇跡を求めてルルドに訪れる多くの病人、怪我人のほとんどは治癒することはない。それでも人々は満ち足りて帰路に着くという。21世紀の今なお、最大の巡礼者数を誇っていることがそれを証明している。それでは巡礼者は何を求めて聖地を訪れるのか。

■本当の「奇跡」

ベルナデッド最後の数年は病床につき苦痛に満ちたものだったという。死に至るまでの過程も安らかとは言い難く、奇跡の泉を涌かせた聖女の病気は最後まで治癒することなく、彼女はただひたすら神と聖母への祈りの中で帰天した。35歳の若さだった。

筆者は以前、若くして亡くなった少女の話を読んだことがある。少女は危篤状態の時、ひたすら神に祈りを捧げた。あまりの光景にたまりかねた人が「神様」に文句を言った。彼女がこれほど祈っているのになぜ神様は救ってくれないのかと。すると少女はそうではないと語った。神様を信じる心を持てたこと、神に祈りを捧げられるそのことが救いなのだと。

これで連想するのが親鸞(1173~1263)である。親鸞は「報恩感謝の念仏」を説いた。念仏は救いを求めてのものでない。念仏と出会い、念仏を信じ、念仏することそのものが救いであり、「すでに救われている」ことに感謝するものだという。親鸞は他の聖者によくある奇瑞や奇跡譚が存在しない。念仏することに比べれば、海が割れただの、病気が治癒しただのは小さいことだったのだ。

ベルナデッドにとっても奇跡とは病気が治るとか未来を予知するとか、そういうことではない。聖母に出会えたそのこと、神を信じ、神に祈ることできるそれ自体が奇跡だったのだ。

■今もルルドに息づく「奇跡」

筆者は以前、「神仏は自動販売機ではない」と述べ、純粋な本来の「祈り」を捧げる希少な場として、死者の為に祈る葬儀の場を挙げた。

近現代における「祈り」はご利益の等価交換の手段である。そうした中で神を信じ、祈ることのできる少女には確かに奇跡が起きていた。筆者が読んだ本の少女はベルナデッドの話だったのかもしれない。

ルルドに行けば医学を超えた現象による治癒は期待できるだろう。しかしそうした結果が出なくても、純粋に神に祈りを捧げた時間は残る。それはベルナデッドと同じ「奇跡」の体現に他ならない。そんな奇跡を求めて今日も迷える子羊はルルドを目指す。そしてルルドの聖母と、ルルドから少し離れた修道院に美しい姿を保っち、祈りながら眠っているベルナデッドが彼らを温かく迎える。

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